〈兵庫県知事選〉PR会社社長の炎上に「やっぱりSFCか」の声…慶應SFC独特の「キラキラ言動」に抱く違和感の正体
■「日本の大学改革のモデルケースとなった」 私が京都大学の総合人間学部の出身で、しばしば、「慶應のSFCと同じ?」と聞かれてきたから、というわけではない。私の出身学部は、昔の教養部を学部にしただけであり、「SFC」のような華やかさとは正反対である。少なくとも20年前の私の在学中は、校舎は古く汚いまま、教えられる内容も含めて、いかにも昔の国立大学でしかなかった。 翻って「SFC」は、新しく綺麗なキャンパスに、最新鋭の設備を揃えていた。学ぶ内容に至るまで「慶應」のブランドにふさわしい、生き生きとした学生と教師が集まり、未来を切りひらいている。それが「SFC」だった。 そう思っていた私からすれば、「SFC」は憧れの的であり、貶す気になれない。 「SFC」は、アルファベット3文字の略称にふさわしい、キラキラ感がある。同大学の公式広報誌でも、「既存の学問分野にとらわれない学際的な研究・教育の場であることを徹底して志向していた。どちらの学部も学生自ら問題を発見し、解決する能力を養う教育手法が特色で、その後、日本の大学改革のモデルケースとなった」と自画自賛しているほどである。 そして、この「自画自賛」にこそ「SFC」が嫌われる要因があるのではないか。 ■代表的な出身者「ビリギャル」の教訓 数多くの「SFC」出身者のなかでも、「ビリギャル」こと小林さやか氏は、有名だろう。坪田信貴氏の著書『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』(KADOKAWA)のモデルである。 とはいえ、彼女は、「SFC」とは距離を置いていた。いわゆる「慶應」の印象とはあまりにも違う場所だったからだという。キャンパスまで約1時間かかる東京・下北沢に住み、研究会(ゼミ)に入らず、卒業論文も書かずに卒業している。学生からインタビューを受けた際には、慶應大学の多くの学部がある日吉と三田のキャンパスを中心に、「SFC生」らしくない、「大学入学前に思い描いていたいわゆる『慶應生』らしい大学生活を送ろうとしていた」と述べている。 にもかかわらず、「ビリギャル」が「SFC」のイメージと強く結びつく理由は、入試にある。 「SFC」は、「英語」と「小論文」の2科目での受験が可能だ。どちらも得意としていた彼女は、慶大の他の3学部(経済学部、商学部、文学部)には不合格だったが、「SFC」(総合政策学部)にだけ受かっている。 本場というか、本流とも言うべき日吉・三田キャンパスの学部は、入試科目が多く、ハードルも高い。対する「SFC」は、得意不得意が大きく分かれがちな、少ない科目数だけで受けられる。「SFC」で活動する、学生によるニュースサイトですら「他学部より少ない入試科目数から『慶應ではない』としばしば揶揄されるSFC」と自嘲している。 この「揶揄」が、「SFC」に向けられる世間の視線にほかならない。