オウム死刑囚7人移送、専門家らが会見(全文1)12人を死刑にしてはならない
山口貴士弁護士の冒頭発言
永岡:永岡でございます。先生が今おっしゃられたとおりでございます。ただ、私は、オウムに接したっていうか、オウムに狙われたっていうか、それは25年前からです。一番最初に麻原彰晃という、こと、松本智津夫に会いましたのは25年前です。初めて会ったときに、このままおいといたら、とんでもない団体になるぞということを、私は大人でありましたから、すぐ感じました。親がかりで上級学校に行かれ、食べたいものを食べられるという、そういう恵まれた人たちを、自分が育った環境とそれを比べて、非常にジェラシーを感じていたように思います。 今でも私は思っておりますが、彼は開口一番、言いました。親におめくらのふりをしろと。信じられなかったです。当時、今もですが、おめくらでありますと、衣食住が無料になります。それを親に強制されたということを、彼は自分の口から言うんです。そんなこと、あるわけないじゃないかと。そこで私は、それこそ数え切れないくらい、説法を変えて言うと。説法に聞きに行ったわけです。言うことは素晴らしいことばかし。簡単に言えば、世のため、人のためになりましょうと。それも、人をだますためのすべだったわけですね。 出家と称して、純粋無垢な青年たち、少女たちが、家を出ました。自分の有する全ての権利を麻原彰晃、松本智津夫に譲りますというような一文を提出されておりました。しますと、私どもの例を挙げますと、親が残してくれたそれなりの土地を息子は全て、麻原尊師に譲るというようなことを書いた遺書がございました。遺書ですよ。それについて坂本堤弁護士さんにご相談申し上げたんです。ものの2週間足らずで、家族もろとも、惨殺されたわけです。 それからは考えられる全てを行って、自分の頭で考えられるような元の人間に戻すということを、皆さんのお力を借りて運動してきたつもりです。この2月6日に、中川智正くんに私は接見してまいりました。今回の移送についても、それを感じさせるような、彼は態度を取っていました。それは大変、お世話になりましたというあいさつでした。というようなことで、ごあいさつに変えさせていただきたいと思います。 【連載】オウム死刑囚7人移送、専門家らが会見 全文2へ続く