東京大空襲の記録「抹殺じゃないか」……1億円で「証言」撮影、公開は3分の1のみ お蔵入り30年ナゼ?【#みんなのギモン】
■公開に同意した92歳に取材…思いは
小野解説委員 「証言した方の多くは、当時経験したことをなんとか後世に伝えなくてはいけないという思いで協力しました。公開に同意した1人に取材しました」 村岡信明さん(92) 「上にチラチラ花火のように焼夷弾が落ちてくる中で、(人が)もがくんですね。もがくというのは、当時それを“死踊り”と言ったんですよ。死踊りで死んでいくんですよ」 小野解説委員 「このように鮮明に覚えています。空襲があった当時、村岡さんは中学1年生で現在の江東区に住んでいました。自身の証言が公開に30年かかったことや、いまだ公開されない証言があることについて聞きました」 村岡さん 「(同意書に)私は『大いに活用してください』と書いています。歴史的な事件ですから大いに残したいと思うし、発表したいという気持ちがありましたから。きつい言葉で言えば、抹殺じゃないかと思いますね。東京大空襲の記録を」 鈴江アナウンサー 「抹殺という強い言葉の裏側で、それだけ強く伝えたいという思いが伝わってきました。だとすると期間限定など今の展示のあり方には、いろいろ疑問が残りますね」
■一部を入手…埋もれた証言の内容は?
小野解説委員 「『公開されているものがあるから、それでいいじゃないか』と考える人がいるとしたら、そう思わないでいただきたいです。注目したいのは、お蔵入りになっているものにどんな証言があるかということです。今回、その内容の一部を入手しました」 空襲時23歳頃 「(川の中にいた)妹が(冷えて)仮死状態になっていたので、慌てて焼けトタンを敷いた上に寝かせて焼け土をかけて温めると、じきに生き返った」 同29歳頃 「全員が北を向いて500人位が座禅を組んでいるような焼死体があった」 同8歳頃 「人々は折り重なり、下になった人は窒息死、上にいた者は焼死し、真ん中の人だけが助かった」 辻岡アナウンサー 「戦争の悲惨さ、絶対に戦争は駄目なんだという気持ちになりますよね」