父親の死後、会社を継いだ30代「建築会社の社長」が絶句した「50代の右腕社員」からの壮絶な裏切り
「経営者とは名ばかりだ」
「社内でO田さんをいさめることができる立場の方はおられますか?」と尋ねるとN村さんはこう漏らします。 「以前は父がそうでしたが、没後はいません。立場的にはもうひとり、取締役になっているS原という者がいますが、ふたりはそりがあわなくて。S原は私が代表になったときに財務を見てもらう目的で入社してもらったんですが、O田は現場を知らないS原に不満があるんです」 S原さんはN村さんの大学の先輩で、銀行で融資業務などを担当していました。N村さんが社内改革を進めるにあたって、ふたりの両輪で動いていくことを期待していたのですが、業界慣習を知らないS原さんはO田さんに質問をする機会が多く、O田さんは煩わしく感じている様子です。 S原さんも決してO田さんやP社の伝統を軽んじるつもりはなく、むしろ仕事の効率化のために改善案を提案しても却下されるという歯がゆい状況に陥り、O田さんの態度に困っているところがありました。 「O田は確かに長年弊社に貢献してきてくれて、父も頼りにしていたところがありました。でも、O田の言うことがすべて正しいとは思いません。まして、自社の経営者を外で批判するのは問題です。特に地方のコミュニティでは、一度色がついてしまうとなかなかそのイメージが取れないんです」 僕の評判はがた落ちです、とN村さんはいきどおって言いました。 「先生、僕はO田を辞めさせたいと考えています」 「O田さんの発言が事実かどうかの確認は取られましたか?」 「父の友人の経営者に恥を忍んで聞き取りに行きました。O田は会合で僕の名前が出たときに『まだ未熟なのに色々と勝手に動いている』と話していたそうです。 その方はかばってくれたようなんですが、それもO田は気に入らなかったのかもしれません。最後には『経営者とは名ばかりだ』とまで言ったそうですから」 N村さんはそう言ってため息をつきました。親代わりにと先代社長が託していったO田さんは、今やN村さんの評判を下げる存在になっています。N村さんは、他の社員に対する示しの意味もあり、O田さんを解雇しなければならないとまで思いつめていました。 …つづく<父の死後、会社を継いだ30代の社長が絶句、急に態度が豹変した、50代の「悪口取締役」のまさかの末路>では、こうした取締役に対する適切な解決方法を明かしつつ、P社が辿ったその後もお伝えします。
村井 真子(社会保険労務士・キャリアコンサルタント/経営学修士(MBA))