「知事の座を追われて終わり」にしてはいけない兵庫県の“斎藤劇場”
■保守分裂選挙で県職員は動揺 ところが前回、2021年の知事選では、当時の知事が後継指名した総務省出身の副知事を自民党県連が担いだのに対し、これに反発した自民党県議11人が会派を割って斎藤氏に出馬を求め、斎藤氏が吉村知事のもとで大阪府の財政課長を務めていたことなどから日本維新の会もこれに乗って、保守分裂選挙になりました。 ちなみに自民党本部はこの時、当時の菅首相が維新との関係を重視したこともあって、斎藤氏を推薦しました。つまり自民党は、県連と党本部もねじれたわけです。 県庁職員がこの分裂選挙に動揺したであろうことは想像に難くありません。一つは“禅譲”が途絶えた場合、半世紀以上続いた行政の継続性が根底から崩れる恐れ。もう一つは、どちらが勝っても県議会にしこりが残り、議会対応が面倒になる――からです。 私もある県で、4期務めた知事が再選断念に追い込まれ、国会議員同士が闘った知事選を取材したことがありますが、この時の職員の動揺はかなりのものでした。どちらがより穏当か=つまりは変化が小さくて済むか、どちらが勝ちそうか、幹部たちは情報収集に必死でしたし、当選後は私にも「どんな人か」「誰と親しいか」など、しつこいくらい聞いてきました。戦々恐々と言える状況でした。 まして59年ぶりの兵庫県庁です。しかも維新による大阪での府政・市政の激変を知っていますから、斎藤氏当選の波紋は大きかったでしょう。逆に言うと、斎藤氏はそんな疑心暗鬼の中に一人降り立ったようなもので、それが「4人組」と言われるような側近を生む一因だったと思います。 初期の橋下氏や松井氏の大阪府政・市政と同様に前任者の行政を否定し、トップダウンによる見直しを急いだ結果、多くの職員にとって高圧的、独善的な知事ととらえられたでしょう。百条委員会が行った職員アンケート結果にもそれが表れています。 だからと言って、斎藤氏をかばうつもりは毛頭ありませんが、一般には理解しがたい斎藤知事の“居座り”を読み解くための、背景の一つとして振り返りました。職員2人の尊い命を失い、自己弁護すら破綻している今もなお「道義的責任が何かわからない」と言ってのける斎藤知事は「メンタルモンスター」とも呼ばれますが、彼の中には議会与党に対して「県政の変革を求めて、私を担(かつ)いだのはあなた方でしょう」という思いや、「私に投票した86万県民もそれを求めていた」という信念めいたものがあるのかもしれません。