「死んでも靖国には行かない」。特攻死した22歳の青年が妹に託した思い
「一器械である吾人は何も云う権利もありませんが、ただ、願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです」。 妹の登志江さんは「兄は戦争で死んだ人たちの無念を代弁したのだと思う」と、兄の言葉を誇りに思ってきた。 ▽出撃前、「死んでも靖国には行かない」 登志江さんは、出撃の約1カ月前に兄が帰省した時の記憶がある。当時は女学校の学生だった。自宅の中で2人だけで顔を合わせた際に「死んでも靖国神社には行かない。天国に行くからね」と淡々と語っていた。 5人のきょうだいの末っ子だった登志江さんは「まだ小さい私なら話しやすかったんですかね。私ならそういうことを言ってもいいと思ったのかな」と振り返る。 お手伝いの女性らと夕食を囲んだ際は兄は「日本は負けるよ」とも口にした。驚いて、誰かに聞かれていないか心配になり、慌てて雨戸を閉めた。 兄は帰省を終えて家を出た際、見送る家族に大きな声で3回「さようなら」と言った。当時は深く考えなかったが、母が「もう帰らないんじゃないか」と漏らしたことを覚えている。兄が特攻隊員だった事実は戦死後に知った。 ▽靖国に行く母に、兄の言葉伝えられず
上原家は長男良春と次男龍二も戦争で亡くした。戦後、母は靖国神社への参拝を続けた。そんな母に、登志江さんは「死んでも靖国神社には行かない」という兄の言葉を伝えることはできなかった。登志江さん自身は兄の言葉が引っかかり、母の死後は靖国神社に足が向かないという。その理由をこう考えている。「国のために命をささげたとか美化するようなことは私の気持ちに合わない」 兄は最期、どんな気持ちだったろうか。想像するとたまらない気持ちになり、涙が出てくる。「いっそ『お国のために』と思って逝ったほうが幸せだったかもしれない」