「実は私、工業デザイナーなんです」稲川淳二(77)コンパ屋と呼ばれた学生時代経て活躍も…芸能界へ不思議な転身を果たし
30年以上続く、夏の風物詩といえば、「怖いな~怖いな~」でおなじみの稲川淳二さんによる怪談ナイト。この夏、喜寿を迎えた怪談家は、若かりしころは優秀な工業デザイナーだった。そこからなぜ芸能界へ?怪談の道へ?(全4回中の3回) 【写真】「グッドデザイン賞も受賞!?」稲川淳二さんのセンス抜群の商品「見たことある!」など(全17枚)
■ボクシングのポスターをカッコよく変えたのは私 ── 最近は、怪談家のイメージが強い稲川さんですが、キャリアのスタートは工業デザインだそうですね。どのようなものを作ってこられたのでしょうか?
稲川さん:新幹線の車内で使われている検札機の初期タイプ、バーコードリーダー、車のテストボディなど、いろんなものをデザインしました。私、ものづくりが大好きなんですよ。 ── 身近な、あの製品を稲川さんがデザインしていたとは!なかでも心に残っている仕事はありますか? 稲川さん:工業デザインは内部の機械を作る会社と外側を作る会社が別で、私はデザイン会社の人間として、いろんなメーカーと協力して、ひとつの製品を作り上げるわけです。ひとりで完成させる製品には出合いづらいのですが、自然石を使った「車どめ」は自分ひとりで作ったものです。これは、1996年にグッドデザイン賞(公共空間用設備器具部門)を受賞しました。
── グッドデザイン賞の車どめ、今度、町なかで探してみます。そのほか店舗の建物設計など、さまざまなものをデザインされていますね。 稲川さん:工業デザインは立体をメインにする人が多いのですが、私はレタリングや絵ができるので、グラフィックやポスターもデザインしました。ボクシングの世界王者・柴田国明さんのタイトル防衛戦のときのポスターなども私が手がけたものです。それまでのボクシングのポスターって、あまり質がよくない黄色い紙に半分は赤コーナー、残り半分は青コーナーで囲ってあって、写真はモノクロで殺伐とした怖い感じでした。これじゃあ、若い女性は試合を観にいかない。「デザインを変えていいか?」と依頼主に聞くと、「いい」というので、私は白い紙を使って、色も赤や黒などをのせて、かっこいいデザインにしました。それから、ボクシングの試合告知のポスターがガラッと変わったんですよ。