五輪では圧巻も…。A代表で影が薄かった日本人選手10人。誰もが順調なわけではない…。輝けなかったのは?
ロンドン五輪のヒーロー
FW:大津祐樹(おおつ・ゆうき) 生年月日:1990年3月24日 五輪での成績:6試合3得点0アシスト(ロンドン五輪) A代表通算成績:2試合0得点0アシスト 大津祐樹は、高校卒業後の2008年に柏レイソルに加入してプロキャリアを始め、2年目の2009シーズンにはJ1リーグで6得点を挙げる活躍を見せて、この世代で注目を集める存在となった。2011年夏に加入したドイツのボルシア・メンヒェングラートバッハでは出場機会が限られてしまうが、2012年ロンドン五輪(ロンドンオリンピック)のメンバーに選出されている。 ロンドン五輪では、クラブで出番が少ないことの鬱憤を晴らすような活躍を見せた。U-23スペイン代表と対戦した初戦で扇原貴宏のCKに飛び込んで決勝点を記録すると、決勝トーナメントでは準々決勝のU-23エジプト代表戦と準決勝のU-23メキシコ代表戦でそれぞれ1得点を挙げる大活躍だった。 大会後に大津はオランダのVVVフェンローに移籍してコンスタントな出場機会を得ると、2013年2月にはA代表デビューを飾る。しかし、同年12月に右アキレス腱断裂の重傷で長期離脱を余儀なくされた。公式戦に復帰できたのは翌2014年8月で、復帰にかなりの時間を要してしまった。2015年1月に柏に復帰した後はJリーグでコンスタントにプレーしたものの、再びA代表に呼ばれることはなく、2023シーズンを持って現役を引退した。
本田らには敵わず…
MF:東慶悟(ひがし・けいご) 生年月日:1990年7月20日 五輪での成績:6試合0得点1アシスト(ロンドン五輪) A代表通算成績:出場なし ロンドン五輪(ロンドンオリンピック)でU-23日本代表は4位になった。メダルまであと一歩のところまで迫った大会でU-23日本代表の背番号10を背負ったのが東慶悟だ。 東は大分トリニータの下部組織で育ち、18歳だった2009年にJ1リーグデビューを果たした。すぐに定位置を確保すると、2010年にはU-21日本代表として出場したアジア競技大会で優勝に貢献。大宮アルディージャへ移籍した2011シーズンは、J1で27試合に出場して8得点4アシストの活躍を見せ、ロンドン五輪のメンバーに選ばれた。 U-23日本代表では、清武弘嗣、大津祐樹とともに2列目のポジションに入ることが多かった東は、観る者を魅了するようなラストパスが最大の武器で、チームの攻撃のカギを握る一人として存在感を示した。フィジカルが強くボールを失うことが少ないトップ下として周囲から信頼され、準決勝のU-23メキシコ代表戦では大津の先制点をアシストし、ロンドン五輪全試合に出場した。 しかし、A代表には縁がなく、2013年5月に1度招集されたことはあるが、出場機会はなかった。その大きな要因の一つはポジション争いだろう。当時アルベルト・ザッケローニ監督が指揮を執っていた日本代表には、トップ下を置くときは本田圭佑のようなトップレベルの選手がいた。ヨーロッパで活躍する選手たちが多くいるこのポジションは競争も熾烈で、五輪で10番を背負った東でも定着は難しかった。