病気になった意味なんて、探さなくていい
【&w連載】東京の台所2
〈住人プロフィール〉 42歳(自営業・女性) 賃貸戸建て・4K・中央線 国立駅・国分寺市 入居6年・築年数48年・夫(40歳・理学療法士)、長女(4歳)との3人暮らし 【画像】もっと写真を見る(25枚) 幼い頃から病弱だった。これまでに5回入院を経験した。なかでも小学4年で、肝炎を白血病と誤診された衝撃が今もしこりになっている。「私は死ぬんだ」と、強く思い込んだ。 子どもながらにその頃から、健康と食の関係に興味を持つ。同居の祖母の書棚から見つけた、自然療法で知られる東城百合子さんの玄米菜食の本がきっかけだ。 「自分の意志で玄米菜食にしてもらうよう母親に頼みました。頭痛のときはこめかみに梅干しを貼るような自然療法に、そんな知恵があるのかと驚いて。玄米はおいしくなくて、すぐやめたんですけどね」 美大生の頃、突然大病を発症する。紫斑病という自己免疫疾患だった。 入院3カ月間は絶食を軸に、車椅子生活だった。退院後、歩けるようになっても歩行制限があり、投薬、10年の通院を経て、ようやく寛解でした。 「玄米菜食の本を読んで以降、ずっと食事に気をつけてきたのになぜ?と考えてばかりいました。あれが悪かったかこれがいけなかったかと自分を責める癖がついてしまったんですね」
青天の霹靂
現在は、陶芸を教える仕事をしながら、創作活動をしている。35歳で結婚した夫とは、作品のインスタをフォローしあっていたことから食のイベントで知り合った。 「付き合いだして、最初に彼のひとり暮らしの台所に行くと、同じ陶芸家の土鍋を持っていてびっくりしました。彼はもともと玄米菜食が好きで、料理道具へのこだわりも、ひと目見てわかった。食の趣味と価値観が似ていたんですよね」 彼の住んでいた古家で新婚生活が始まり、やがて近くのもう少し広い平屋に越す。旧居と似たような古さで、一室を陶芸のアトリエにした。 台所は、夫が棚を自作し、厨房(ちゅうぼう)用のステンレス台を食器棚代わりにした。器は彼女が作ったものが中心で、ときどき作家の個展で買うものも混じっている。 彼女は実家、彼の家と住んできたので、実質、初めて持つ自分の台所だ。有機野菜やお気に入りの添加物の少ない調味料を使い、健康に気をつけながら、ふたりで料理を楽しんだ。 長女を授かると、おやつにてんさい糖や全粒粉のクッキーなどを作った。 ところが去年の3月、またしても病に襲われる。 「6.5センチの腫瘍(しゅよう)が見つかり、青天の霹靂(へきれき)でした。毎年検診をして異常なしと言われていたので。20万人にひとりの希少がんに分類されます。調べれば調べるほど落ち込み、そこから半月ほど記憶があまりないんです」 料理も何もする気持ちになれず、子どもの保育園への送迎から家事までの一切を夫がこなした。 「眠れない。食べられない。誰とも会う気持ちになれない。ネットの生存率を見ては落ち込み、手術で腫瘍が取り切れなかったことを想像しては眠れなくなる。娘の入学式は行けるのかな、梅は、桜は見られるかなと、負のループが止まりませんでした」 前述のように、小4の白血病騒ぎから漠然とした不安が内在している。また病気になるのではないか。もっと気をつけてやれることがあったのではと自分を責める。 あるとき、夫に言われた。 「その心配性がストレスになって、体によくないかもよ」 「たしかにそのとおりだと思いました。夫もかつては玄米菜食をやっていましたし、食事や健康管理にはとても気をつけています。でも、時々カップラーメンや『よっちゃん』のイカを買ってきては、“たまにはこういうの食べないとだよな”と頰張る。それですごく健康です。ストイックに自然食を追求するわけではない。何事もバランスを大事にする。ああ、彼は思考が健康的なんだと」 思えば、ジャンクなスナック菓子を食べている人でも健康な人はいる。病気にならないように、これを食べよう。始終そう考える料理っておいしいだろうか。自問自答する。 健康のためにと、ニンジンジュースを飲むたびに、病気のことを思い出す。甘いものをやめよう、砂糖は抜こうと考える瞬間も。たしかに、病気を忘れることこそ大切かもしれない。自分は思考の癖や思い込みで、自分にストレスをかけていたと気付き始めた。 「食べたいときに食べたいものを食べるのとは、真逆なことをし続けてきました。小麦や砂糖など、“これを食べたら体にいいかな”と考えながら口にして。食べたいという素直な欲求より、体にいいから食べる・食べないという理屈を優先していた。必死で、良いと言われる食を追いかけてきたけれど、結局病気になっている。そこではっとしたのです。こんな状態で手術を受けてもいい結果になるはずがない、と」 好きなものを食べ、やりたいことをやろうと決めた。行きたかった蕎麦(そば)屋、娘のやりたかったイチゴ狩りにハイキング。夫と外食したり、疲れているときは弁当を買ったり。前よりテイクアウトも増えた。 幸い、手術で切除でき、8カ月ごとの経過観察を10年間続けることになった。 「今でも病気のことを考えると、まだまだ不安もいっぱいある」と語る。だが、これからも食べたいものを楽しく食べるという信条はぶれていない。 食をきちんとせねばという、自分の決めた足かせから抜け出した彼女は、おだやかな表情で、自分を俯瞰(ふかん)する。 「いろんなことに、ま、いっかと、前より少しだけ力を抜けるようになりました」 また、「人はそう簡単に変われない」ということも、この1年で学んだ。 どんなに病気を受け入れ、自分を責めないでおこうと決めてもふとした拍子に、「なんで私だけ」と不安定な自分に戻ることもある。 そんなときは、担当医師の言葉を思い出す。 「病気って、不条理なもんなんですよ。病気になった意味なんて探さなくていい。不条理なことに、生まれてすぐがんになる子もいる。その子が悪いわけでも、意味もあるはずもないんです」 だから自分を責めるなと解釈した。もう抗(あらが)うのをやめよう。 夫と病気について話しているときの4歳の娘の言葉も、胸に刻んでいる。 「ママ、楽しくない話ばっかりしてる」 初めて持った自分の台所はもうすぐ7年目になる。 「彼の得意な南インドカレーも、泣きながら味のわからないまま食べたご飯も、娘が生まれてからの大変ながらも愛(いと)しい日々も、全部この台所につまっています」 取材後、アイスチャイと、生クリームとクリームチーズをたっぷり加えた自家製チーズケーキを供された。 抗わないと決めた人が作るケーキは後味がさっぱり。なのに深く濃厚で、どこまでもなめらかだった。 ■著者プロフィール 大平一枝 文筆家 長野県生まれ。市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。著書に『ジャンク・スタイル』(平凡社)、『人生フルーツサンド』(大和書房)、『注文に時間がかかるカフェ』(ポプラ社)など。本連載は、書き下ろしを加えた『東京の台所』『男と女の台所』(平凡社)、『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)の3冊が書籍化されている。 本城直季 写真家 現実の都市風景をミニチュアのように撮る独特の撮影手法で知られる。写真集『small planet』(リトルモア)で第32回木村伊兵衛写真賞を受賞。ほかに『Treasure Box』(講談社)など。1978年東京生まれ。
朝日新聞社