黒死病でも活躍、「ワインの窓」がますます広がる、イタリアのフィレンツェで人気上昇
ワインの窓の歴史
フィレンツェでワインの窓の習慣が始まったのは1559年のことだ。初代トスカーナ大公のコジモ1世(コジモ・デ・メディチ)は、貴族に対し、各自が所有するブドウ畑の収穫から造られて余ったワインを街の邸宅で販売することを許した。税金はかからず、少量に限って販売できた。 ワインはフィアスコ(フラスコ)という手吹きガラスの瓶に入れるのが一般的で、瓶が壊れないように藁(わら)や編んだ小枝で包んであることが多かった。 当初、窓は屋敷の大きな木製の扉を切って作られた。穴は高さ30センチ、幅20センチほどで、ちょうどワインボトルが1本通るくらいのサイズだ。このアイデアが広まると、やがてワインの窓は、建物の石の壁の中に作られるようになった。ワインを求めてやってきた客は、ベルを鳴らすか、木製または金属製の小さな扉をノックするといった具合だ。 「石壁は1.5メートルほどの厚さでしたから、そこに穴をあけるのは非常にお金がかかりました」とカラーラ氏は説明する。氏は、市内全域の認定された「ワインの窓」に銘板を設置して文化遺産を保護する活動をしている「ワインの窓文化協会」の支援を行っている。 「その後、1600年代には、小さな窓付きの建物が建てられるようになりました。ワインの窓を作るには、必ずメディチ家の許可が必要でしたが、正面に窓を作った状態で建物を建てていたようです」 伝統的に、ワインの窓はだいたい腰ほどの高さの低い位置にある。初期のころ、ワインは保存のため地下のセラーに保管されていた。 美術史家のディレッタ・コルシーニ氏とルクレツィア・ジョルダーノ氏は著書『Wine Windows of Florence and Tuscany(フィレンツェとトスカーナのワインの窓)』の中で、カンテニエーレ(ワイン貯蔵庫の管理人、セラーマン)は音が聞こえると、はしごを上ってきてワインの窓で注文に対応していた、と記している。 「屋敷でワインの販売をしていた者やワイン係は、下級の使用人でなかったのは明らかだ。多くの場合、その屋敷の執事であり、自身が預かる屋敷の全てに責任を持っていた」と両氏は書いている。