笑いで“生きる力”届けたい…「土佐の寅さん」過疎地を行く 公務員から「芸人」に!間六口さん全国制覇達成へ
30年近く、過疎地を中心に全国各地へ笑いを届けている「土佐の寅さん」と呼ばれる男性がいる。元公務員から芸人に転身した男性は、78歳の今も精力的に活動を続けている。男性の笑いにかける思いを取材した。 【画像】笑いで“生きる力”を届ける「土佐の寅さん」
過疎地で開かれる演芸会
高知市から車で1時間の香南市香我美町・東川地区は人口約150人。住民の約6割が高齢者という過疎地域だ。10月、住民が楽しみにしている年に一度の演芸会が開かれた。登場したのは、映画『男はつらいよ』の主人公・車寅次郎に扮したアマチュア漫談家の間六口(はざま・むくち)さんだ。 間六口さん: いよっ!諸君、元気かねえ?風の便りに私のおっかさんがこの東川付近にいるということを聞きつけ今日はやってまいりました。もしや、おっかさんではございませんか? 四万十市在住で78歳の間さんは、過疎地を中心に県内をはじめ全国各地を訪れ、プロ顔負けの話芸で客を魅了している。 間六口さん: 男度胸で女は愛嬌、坊主お経で漬物ラッキョウ、山じゃウグイスホーホケキョ。しゃなりしゃなりの柳腰、食いつきたいほど惚れてはみたが、あいにく入れ歯で歯が立たないよときた!……だいたいここまでくると拍手くる。(会場拍手)ありがとうございました、このように要求されて叩く手を“手遅れ”と申しまして、以後手遅れのないようによろしくお願いいたします。 一番の得意芸は「バナナの叩き売り」だ。間さんが「声の大きい1名様だけ!持ってけ買ってけリハーサル、300円で」と呼びかけると、会場の男性が「はい!」と元気よく手を上げる。しかし… 間六口さん: そこのお父さん早かったね、後ろのお父さん。あ、ちょっと待ってお父さん。今300円の前なんて言ったか分かった?“リハーサル!” 会場は爆笑の渦に包まれた。
夢の再燃と「土佐の寅さん」の誕生
「土佐の寅さん」こと間六口さん、本名・坂本純一さんは、1946年に高知県四万十市で農家の長男として生まれた。小さい頃から“お笑い”が大好きで、学校で漫才や漫談を披露したりと“お笑い”に夢中だった。「人に笑っていただくこと、喜んでいただくことが、ものすごい自分の喜びになった。そういうものをぜひやってみたいなというのが、高校ぐらいのときでした」と間さんは当時を振り返る。 プロの芸人を夢見た間さんは高校3年の時、松竹新喜劇のオーディションに応募するが、父親の反対にあう。「おふくろは『ダメやろうから、一回行ってみたら?』という感じやったんですが、親父が烈火のごとく怒ったのと、親父ちょっと病弱でしたんでね。勇気もなかったし、諦めて公務員になった」と、夢を諦めた経緯を語った。 芸人の夢を封印した間さんは高校卒業後、公共職業安定所に入り、28歳で妻・育子さんと結婚。2人の息子にも恵まれた。転機が訪れたのは、忙しく働いていた40代半ば。不整脈を患い、息が止まるのではないかと怯える日々が続いたこと、そして小学校から高校まで一緒だった同級生が白血病で亡くなったことで、命に限りがあることを痛感した。 間六口さん: (同級生が)非常に元気で、今から医大へ病気やから入院してくるっていって、1カ月で亡くなりましたんでものすごいショックで。自分の病気と重なり合って“人間って死ぬんや”と。自分のやりたいことをやって(人生を)終わりたいなと思うようになりましたね。 一度諦めた「芸人」の夢を実現すると決意した間さん。寅さんに憧れ「プロに負けない話芸を身につけたい」と、口上集を読み、大道芸の修行で各地を訪ね、芸を磨いた。 間さんは50歳の頃から、仕事の傍ら活動をスタートし、59歳で退職した後は本格的に県内各地を回った。2011年には「県内の旧53市町村に笑いを届ける」という夢を達成。活動は県外にも広がり、これまでの講演は全国各地で1700回以上に上る。