「かあちゃーん、パンツがないよー、あ、死んじゃったんだ」タレント・あべけん太「ダウン症は体質みたいなもの」と話す両親の教え
僕は「けん太にとってかっこいい兄ちゃんでいたい」と思って、いろんなことに前向きに挑戦してきましたし、けん太がいるから我慢したことは1回もないです。自分の好きなことをやってプロボクサーになりましたし、けん太が試合を応援しにきてくれれば、パワーをもらえました。
■母が亡くなった翌日も「仕事へ行く」と ── ご両親の影響は大きいですね。 俊和さん:けん太が産まれて、病院へ初めて会いにいったとき、母が泣いていたことは鮮明に覚えています。けん太がダウン症だとわかって、両親はびっくりしたみたいですけど、母はいつも明るくて、けん太のためになることを探して、療育に通ったり、できることをやっていました。けん太は、3歳くらいまで歩けなかったし、5歳くらいまでしゃべれなくて、成長がゆっくりだったので、小さい頃は家族で一丸となって「けん太を守ろう」と思っていました。でも、大人になってからは、けん太に守られていると感じることが増えましたね。
13年前、母が事故で亡くなったんです。朝、元気だった人がその日に亡くなるという経験をして、ショックでしたし、母に何でもやってもらっていたけん太のことも心配でした。「仕事へ行きたくない」と言い出したらどうしようかな、と思っていたら、翌日けん太が「仕事行ってくるわ」と言い出して。「忌引きだから、今日は行かなくていいよ」と言っても、「会社に迷惑かけちゃうから、行ってくるわ。母ちゃんも喜ばないから」と。「根性あるな」と思いましたね。結局、会社の人に「帰れ帰れ」と言われて、帰ってきましたけど。
── それはつらい経験でしたね。 俊和さん:そのときは悲しかったですけど、つらい経験にも何か意味があると思いたかった。「生きていることはあたりまえじゃない」「その日その日を大切に生きなきゃいけないんだ」というのが、おかんが最後に伝えてくれた教えだと思っています。けん太も、母がいなくなってしっかりしたと思います。 けん太さん:「かあちゃーん、パンツがないよー、あ、死んじゃったんだ」ってね。 俊和さん:母が亡くなった後、オファーをいただいてNHKの『バリパラ』に出演したのをきっかけに、メディアに出させてもらうようになりました。けん太は人前に出て自分を表現することが好きですし、けん太が楽しんでいる姿が、ダウン症の人や、その家族にとっての勇気や希望になればと思って、いろいろなメディアに出させてもらったり、YouTubeでも発信しています。まあ、ほとんどはふたりでふざけているだけなんですけど(笑)。明るく楽しくふざけているだけでもポジティブなメッセージが伝えられているんだなということを感じられて発信をしています。