元少年A「絶歌」出版なぜ批判集まる? 「サムの息子法」は導入すべきか
1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件、別名「酒鬼薔薇事件」の加害者である「元少年A」氏が、事件についての自叙伝「絶歌」を出版したことが大きな波紋をよんでいます。遺族に許可を得ることなく出版したという経緯や、衝撃的な内容も問題とされましたが、加害者が自分の引き起こした犯罪について語ることで、印税という経済的利益を得ることについて、特に大きな批判が集まっているのです。こうした中で注目されるようになったのが、犯罪の加害者が、犯罪を題材として、出版社や映画製作会社から利益を得ることを禁止する法律である「サムの息子法」です。このような法律は、日本でも導入することができるのでしょうか。
出版自体の禁止は憲法違反の可能性高い
そもそも、「遺族の気持ちを考えれば、加害者が事件について語る本を出すなどありえないことだ」というのが一般的な考え方かもしれません。しかし、「絶歌」のような本について、自分の犯した犯罪についての表現であることを理由に、法律や条例で出版そのものを禁止することは、憲法違反になる可能性が極めて高いといえます。どのような理由からなのか、憲法問題に詳しい伊藤たける弁護士は、次のように語ります。 「表現の自由は、民主主義において、非常に重要な権利とされています。そもそも、何を『正しい』と考えるかは、人それぞれ違うため、客観的に決定することはできません。民主主義というものは、多数決の結果をとりあえず『正しい』ものとして扱うことで、社会のルールを作る制度です。しかし、国民に与えられる情報が偏っていたら、そのような情報を前提としてされた多数決は、無意味どころか、政府に『民意である』という誤った後ろ盾を与えてしまいます」 「民意である」という後ろ盾を与えるということは、具体的にはどのような意味なのでしょうか。 「例えば、相撲と柔道のどちらが国技にふさわしいかについて、それぞれの意見はあっても、どちらが『正しい』かは分かりません。ところが、政府が、相撲が国技にふさわしいと考え、柔道のよさを伝える表現だけが禁止されると、情報に偏りが生じてしまい、最終的には政府が『勝たせたい』と思っている相撲の方が多数決で勝ってしまいます。このように、表現の内容を理由として規制をすることは、政府が一定の結論へと民意を導いてしまうという危険性がありますから、特定の表現内容についてだけ出版を禁止する法律や、被害者の同意が必要であるとする法律は、憲法違反の疑いが極めて強いでしょう」(伊藤弁護士) 自らの犯した猟奇的な殺人事件を詳細に描写した「絶歌」も、「表現」であることには変わりありません。出版元の太田出版も、6月17日に同社のホームページ上でコメントを発表し、「『少年Aのその後が気になっていたので知ることができてよかった』『自分の息子が将来加害者の側になるのではないかと心配している。少年Aの心の動きを知ることができて参考になった』等のご意見も多数いただいています。私たちは、出版を継続し、本書の内容が多くの方に読まれることにより、少年犯罪発生の背景を理解することに役立つと確信しております」として、一定の社会的意義があることを強調しています。世間の大多数の人から批判されることは受け入れなければなりませんが、それもまず表現ができたからこそ評価の対象となったのです。 今回話題になっている「サムの息子法」は、表現自体を禁止するものではなく、経済的収益を没収するものですから、規制の態様は比較的強くないといえるでしょう。Yahoo!ニュースの意識調査でも、約9割の人が日本でも「導入すべき」としています。また、弁護士など法律の専門家からも、導入は可能であるとの見解も示されています。