元少年A「絶歌」出版なぜ批判集まる? 「サムの息子法」は導入すべきか
少年法で保護されてきたことも批判の背景?
「絶歌」と同じく自身の犯罪に関する表現でも、和歌山カレー事件で有罪となった林眞須美氏の著作「和歌山カレー事件―獄中からの手紙」や、古くは永山則夫死刑囚の「無知の涙」などでは、出版禁止や『サムの息子法』を求める議論は、そこまで活発ではありませんでした。伊藤弁護士は、今回このような議論が起こった背景の1つには、16歳未満に刑事責任を問わず、実名報道や顔写真の掲載を規制していた当時の少年法により元少年Aが保護されていたため、社会的制裁を受けていないという問題意識があるのではないかと指摘します。 「被害者救済が大切なのは言うまでもありません。しかし、公正な民主主義を維持するために、表現の自由に対して最大限配慮することも、同じくらい重要です。憲法違反の判決を受けて、現在のアメリカの『サムの息子法』の多くは、犯罪行為に直接関連する収益に没収の対象を限定しています。日本で『サムの息子法』を制定するとしても、一定の重大犯罪につき有罪の処分や判決がなされた少年事件に限り、これに直接関連して得られた収益のみを没収する等、その適用対象が不必要に広がらないように、『絶歌』のような場合に厳密に限定するべきでしょう」(伊藤弁護士) 「元少年A」氏も、「自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの『生きる道』でした」と「絶歌」の中で語っており、今回の問題を表現することが自己のアイデンティティに関わる問題であったことを示唆しています。被害者の心情を害する可能性のある加害者の「表現」がどのような形で実現されうるかは、極めて難しい問題です。表現の自由の重要性はもちろん認められるべきですが、今回のケースは経済犯罪などではなく、理不尽に子供を殺された殺人事件であり、出版によって害される遺族の利益は、あまりに大きいと考えられるからです。 本質的な問題は、「サムの息子法」のような経済的制裁を与える法律がなくても、遺族が納得できる形で「元少年A」氏が適切に表現できる手段を模索する姿勢だったのかもしれません。第三者として関与した出版社に対しても、遺族に許可を取り、収益を賠償に充てることを出版の条件とする、などの配慮を行わなかったことに批判が集まっていますが、太田出版は、ホームページで「出版は出版する者自身がその責任において決定すべきものだと考えます。出版の可否を自らの判断以外に委ねるということはむしろ出版者としての責任回避、責任転嫁につながります」とコメントしています。 (ライター・関田真也)
《取材協力》伊藤たける(いとう・たける) 弁護士。28歳。慶大院修了・法務博士(専門職)。NHK教育テレビ「真剣10代しゃべり場」への出演をきっかけに憲法と出会う。司法試験合格後は、大学や「ロースクール・ポラリス」、「BEXA.jp」という教育機関で法学教育を行っている