合意形成学で「わかりあえない」を諦めない
差異を創造性に変えていくために
政策づくりの担当者として、地域固有の自然資源と聞かれて「何も思い浮かばない」と答えるのは、勇気がいる。ほかの自治体の職員も集まる場だからこそ、わかっているふりをしたいはずだ。しかし、その方は正直に「わからない」と言った。その後、ボールが順々に手渡され、ほぼすべての人が自分の思いを語った。多くの人が「戸惑っている」ということだった。担当者として集められたけれど、これから何をすべきなのかまったくイメージできていない人がほとんどだった。最初の話し合いで戸惑いを率直に共有できたことは、大きな意味があった。連携して事業を進めていく前に、「わからない」ということを含めて意識を共有できたことで、関係者が共にスタートラインに立つことができた。 ■差異を創造性に変えていくために ドイツの思想家ユルゲン・ハーバーマスは、「コミュニケーション的合理性」という、民主的社会に生きる私たちが道標にしうる重要な概念を示した。外部から与えられる規範ではなく、人々が討議を通して社会や人のあるべき姿を見いだしていくことこそが、人間の理性の力であると訴えた。ただし、討議の場に参加する人は、自らの主張を明示し、他者と対等な立場で議論する力を必要とする。そうした力が培われていなければ、パブリックな議論に参加することは困難だと考えられるという。 そもそも、理路整然と自分の考えを述べることができる人はほんの一握りかもしれない。「声を発するのが怖い」「自分の声には意味がない」「自分が何を考えているのか、自分でもよくわからない」......そう感じている人は少なくない。農村地域において話し合いの場を積み重ねてきた経験を通して、私はそうした人々の存在を強く認識することができた。 セーフティの高い場をつくることができたら、人々は語り始める。50人が集まれば、50通りの見方・考え方が共有されるかもしれない。場合によっては、ネガティブな言葉が続くこともある。そうした言葉が語られるのも、セーフティがあってこそだ。ただし、合意形成は未来を描くコミュニケーションであることを忘れてはならない。さまざまな声を手がかりに、選択肢を生み出すことに力を尽くす。「どう思うか」から「どうしたいか」に、思考をシフトさせていく。 いろいろな意見が出るとまとめるのが大変だと考える人もいるだろう。私たちの多くは、自分の考えに固執しがちだし、異なる意見に耳を傾けていくことを難しいと感じてしまう。しかし、多様な声があるからこそ、選択肢の可能性が広がると考えることもできる。 「わかりあえない」と諦めるのではなく、差異に価値を見いだし、異なる見方を資源としてとらえていくことができれば、話し合うという行為の意味はもっと豊かになっていくはずだ。 私たちは今、多様性を尊重する時代に生きている。だからこそ、合意形成学は、差異を創造性に転換するための学問として、大きな可能性を秘めている。 豊田光世(とよだ・みつよ)◎新潟大学佐渡自然共生科学センター教授。東京都出身。米国大学院で環境哲学と哲学対話の研究に従事。帰国後、佐渡島をフィールドに、地域環境の保全に向けた話し合いと協働の場をデザインしながら、多様な主体の参画による環境ガバナンスのあり方について研究を行う。合意形成、対話教育、環境哲学、環境教育の視点を統合し、地域環境ガバナンスを実現するためのしくみを開発していくことを目指している。兵庫県立大学環境人間学部講師(2010-13)、東京工業大学グローバルリーダー教育院特任准教授(2014-15)を経て、15年9月より現職。東京工業大学社会人アカデミー合意形成学セミナー講師としても活躍。
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