流刑人の恩恵知って なんと再発見寺子屋、負の印象払拭へ五箇山に看板
江戸期に加賀藩の流刑地だった南砺市五箇山地域の田向(平)で20日、歴史を伝える看板が設置された。マイナスイメージを持たれがちな流刑人だが、住民たちに文字や文化、医術を教えるなど交流があったことを伝えている。 市内の歴史に光を当てる活動を続ける「なんと再発見寺子屋」と地元が設置。寺子屋の西村忠事務局長(87)と田向区長の田島信彦さん(70)らが現地で除幕した。 流刑人は、藩士ら政治犯や軽犯罪人がほとんどで、明治維新までの約200年間に、記録が残るだけで159人が流刑人として五箇山の7集落に送られた。 教養を身に付けた藩士は、住民たちに読み書きや医術、唄、踊りを教えたほか、流刑人を五箇山に送る際には日当が支払われ、現金収入の少ない山村に貴重な収入をもたらした。 五箇山で疫病がはやり、住民140人余りが病死した際には、流刑人が慰霊碑を建てて弔ったという。田島さんは「慰霊碑を建ててくれるなど地元にとっては良い印象がある。悪いイメージが払拭される機会になればうれしい」と語った。西村さんは「五箇山に恩恵があったことを、観光客らに知ってほしい」と語った。