FIREブームに本気で乗っていいのか?お金持ちとは本当に“うらやましい人生”なのかを考える
植栽も同様で、知人が嘆いていたが、松の木の手入れに年間50万円もかかるのだとか。これも、専門の植木職人が少なくなっているせいだという。ネットで安い業者を探してくればOKというわけにはいかないのだ。また、大邸宅になればなるほど、犯罪対策の警備費も必要になるだろう。そして相続となれば、一等地であればあるほど莫大な相続税が出ていく。 ■お金持ちには社会的責任が伴う かつてのセレブ階級である貴族だって楽ではなかったという。NHKの朝ドラ『虎に翼』で、華族のお嬢様である「涼子さま」が、家名存続のために自分の夢を諦めて婿を取るエピソードがあるが、「自分が家を継がなければ、多くの者が路頭に迷う」という意味の台詞があった。真のセレブは、自分のために働く使用人の雇用を守る責任がある。自由な仕事も恋愛もままならない。西洋の貴族社会もそうで、働かなくていいかわりに、貴族は地代を納めてくれる領民への義務を負っていた。治安判事を務めたり、領民の教育制度や救貧に気を配ったり、橋をかけたりインフラ整備をしたりと、民のために尽くさなくてはいけない。贅沢三昧して遊び惚けているようでは、真のセレブとは扱われなかった。
また、大金があるところには怪しい輩が必ず寄ってくる。宝くじで7億円当たっても、その後が幸せとは限らない。大谷翔平選手が事件に巻き込まれたのも、巨額のお金を持っていたからではないか。 お金持ちには、お金持ちにしかわからない苦労や災難がある。筆者は「お金持ち」ではなく、「応・金持ち」を目指すべきだと思う。自分に応じたお金という意味だ。 例えば、大きすぎる冷蔵庫に食材を詰め込んでも使い切れずに腐らせてしまうだろう。超高速も楽々出せるスポーツカーを買っても、テクニックがないと快適に乗りこなせない。それと同じように、人には「上手に使えるお金の器」があるように思うのだ。
今払おうとしている金額は、モノの価値に対して妥当か、高すぎるのか、それがわからないものは簡単に買うべきではない。それは現在の「器」を越えたものだからだ。 価値がピンとこないものにお金を払って手にしても、心から満足できるだろうか。自分の器に応じたお金の使い方をしながら、徐々にその大きさを広げていけばいい。 今の器を越えて、いきなりお金を欲しがると、投資詐欺の標的になりかねない。大金を持っていることより、自分は何にお金を使っているときが一番楽しく、心が満たされるのか、それをわかっているなら幸せの扉がはっきり見えてくるのではないだろうか。