中日のノーヒッター山井大介が、縁もゆかりもない東北で今も支援を続ける理由 「草野球の兄ちゃんと思われてもいい」覚悟の施設訪問から11年 #知り続ける
東日本大震災から2年がたった2013年12月、当時プロ野球中日の投手だった山井大介さんは、宮城県気仙沼市の児童養護施設「旭が丘学園」をいきなり訪問した。 【写真】元球児が開発した「巨大野球盤」が生む思いがけない奇跡 車いすのおばあちゃんが立ち上がり、障害のある子は本気で悔しがった
「震災で親を亡くした子もいるだろう」と考えての行動だった。これまでにプロ野球選手が来ていない場所を選んだ。ただ、中日ドラゴンズは名古屋が本拠地で、東北に縁もない自分が知られているとは思えない。 「草野球の兄ちゃんと思われるかも分からない。それでも、勇気づけに行くぞ」 覚悟を決めて飛び込むと、想像以上の歓待を受けた。「子どもたちが元気すぎてこっちがパワーをもらった」。帰り道では早くも翌年のことに考えを巡らせていた。 震災被災地との交流や支援活動は、選手を引退して投手コーチになった今も続けている。 原点にあるのは、自分が高校生の時に被災した阪神大震災。「あの辛さを知っているから、助けを求めている人がいればちょっとでも何かをしてあげたいなと思う。少しでも笑顔を取り戻したい」と語る。(共同通信=寺内俊樹) ▽「待ってくれている人がいる」 1995年1月17日。兵庫・神戸弘陵高1年時に阪神大震災に見舞われた。大阪府豊中市の自宅マンションは地震で家財が散乱し、断水。建物に亀裂も入った。日常は一変し、過酷な日々が続いた。「何もできなかった」
その後、プロ野球選手として活躍していた2011年に東日本大震災が起きる。 「支援したいという思いは心の中にずっとあった。足を運んでできるようなことをしたい」 募金以外にできることはないかと日頃から考えていた。その第一歩は、自分の快投がきっかけになった。2013年6月28日のDeNA戦でノーヒットノーランを達成。記念グッズの売り上げで、被災地に野球用具を寄付した。 「旭が丘学園」を初めて訪問したのはその年のオフ。翌年の2度目の訪問では「おかえりなさい」「ありがとう」とメッセージを掲示して、迎えてくれた。 「待ってくれている人がいる」 いつしか被災地訪問がプロ野球で現役を続けるモチベーションとなった。 ▽「もう震災は関係なくなっているけれど」 施設には複雑な環境で育ち、教育や愛情を満足に受けていない子もいる。「もう腕を離さないですよ。僕の取り合い」と思い返す。子どもの入れ替わりも激しい一方で、最初の訪問時からいつも出迎えてくれる子もいる。