楳図かずおが「特異な感性」の持ち主でも、最期まで愛され続けた納得の理由
自分にとって「心地の良いもの」は、他者を巻き込んで考えたときに、氏にとっては「他人に優しい」ことであった。各界にフォロワーが非常に多く、文化に多大な影響を与えてきていて、ついにはフランスから栄誉ある芸術賞まで受賞した実績なら、どこまでも増長して権威ぶってもよさそうなものだが、それだと自分が自慰的に気持ちよくなるだけで他者の気持ちよさが織り込まれていない。そこで氏が選択したのは、ごくごく少数の選ばれた人しか手にし得ない、権威をかさに着ることはあえてせず、他者と同じ目線で笑い合うことであった。 そうした姿勢も作品に色濃く現れているように思う。恐怖やサスペンス、ギャグといったモチーフが扱われてはいるが、描かれているのは常に愛であり、生きとし生けるものへの生命賛歌である。どの作品にもその通底した視線があったからこそ、自分をはじめとする多くの人が楳図作品にこうも強く惹かれるのだと感じる。 愛しい人が今際の際に遺した言葉の意味を探すべく、悠久の時をさまよう男を描いた『イアラ』(70年)などは、どストレートに愛に切り込んでいった作品であろう。哲学的なマンガの名手・手塚治虫は『火の鳥』において不老不死というモチーフで”人が生きる意味”のようなものをテーマに据えた。他方、楳図かずおは同じモチーフでもテーマは”愛”である。並べてみると、両者の着眼点の違いが微妙に違って面白い。 ● ドリンク剤を一口「おいしい」 最期まで見えた細やかな気遣い 氏の最期の様子を伝える読売新聞の記事によると、9月からホスピスで終末期ケアを受けながら、クリエイターとしての活動にも意欲を燃やしていたそうである。しかし10月に入ると体力が著しく低下した。亡くなった日の午後はお気に入りのドリンク剤とおにぎりを所望し、ドリンク剤を少し口に含んで「おいしい」と言って、やがて息を引き取ったそうである。付き添いの関係者によれば「とても安らかな顔」とのことであった。 【参考】読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/culture/subcul/20241105-OYT1T50066/ 体がきつくないはずもないだろうに、好きなものをおいしいと感じるささやかな喜びを大切にし、またそれを「おいしい」とアウトプットすることで周囲にこまやかに陽の気を投げかける――そしてそれをご臨終の際にまでやってのける、その徹底したポジティブたらんとする、愛の溢れる姿勢に、私はまさしく楳図かずおを見た気がした。 楳図かずお先生の御冥福をお祈りいたします。数々の、そして種々の恐怖と笑いと感動を、ありがとうございました。
武藤弘樹