楳図かずおが「特異な感性」の持ち主でも、最期まで愛され続けた納得の理由
ちなみにものすごく私事だが、ベーシストである私の父が一時期楳図かずおさんのバンドで演奏させてもらっていたらしく、「楳図さんはバンドをすごくかわいがってくれていたし、『まことちゃん』の中に自分を含めたバンドメンバーの姿をそれっぽく描いてくれているはずだ」と、事実だか願望だかわからないことを口にしていたので、父が関わらせていただいていたのはおそらくこのあたりの時期である。 『週刊少年サンデー』以外で70年代以降の他の代表作についても触れておくと、『洗礼』(74~76年、少女コミック)、『わたしは真吾』(82~86年、ビッグコミックスピリッツ)、『14歳』(90~95年、ビッグコミックスピリッツ)となっている。 95年に『14歳』の連載を終えると一旦筆を置いた。心身ともに疲弊していたので未練はなく、以後タレントとしての活動に精を出すことになる。 レポーターをすることもあれば、お笑い芸人顔負けで体を張ることもあった。すでに大御所と言っていい楳図さんがそれらの出演依頼を断ろうとは全く思わなかったのは、テレビ番組制作の楽しさを感じられていたからであった。 ● 他作品の影響を可能な限り排した オリジナリティの追求 楳図作品には、どれもジャンルの垣根を超えた楳図ワールドが展開されている。時にご都合主義や駆け足のような展開が用いられることもあるのだが、ジャンルや職業すら超越する氏にとっては既視感のまったく見当たらないストーリーを展開するのはもはやお家芸であり、次のページをめくらせる迫力と説得力が凄まじいので、他の部分は”些末なこと”として気にならないのである。 こうしたストーリー制作は徹底したオリジナル志向に裏打ちされていて、その現れとして他人の作品(マンガ、映画、小説など)に触れることを極力避けていたそうである。 既視感を徹底的に排除した結果なのか、楳図作品には未来を言い当てた物が多いのも興味深い。数十年前の楳図作品で描かれていることが、そっくりそのまま現代の世界で起きていたり問題視されていることだったりする。AIのシンギュラリティや新型コロナがそれである。