シャネルの流儀──クリエイションとウォッチメイキング
本物のクリエイション
シャネルはデザインありき。ウォッチメイキングにあってもクリエイションスタジオのビジョンが優先される─その検証を取材テーマとしたが、再び専門家の意見に耳を傾けてみよう。 「『ムッシュー ドゥ シャネル』の開発にあたっては、できあがった機構も、デザインが気に入らないという理由で何度もやり直したそうです。設計部門が強いので他社ではこうはならない。シャネルの場合、クリエイション部門が強いというよりも、みんなクリエイションを向いてモノを作っている、という印象があります」 そんな広田の主張を裏付ける場面があった。「オート オルロジュリー(高級時計製造)」部門の責任者にシャネルのクリエイションについて直撃すると、「技術はクリエイションのために使われるべき」「時計のイメージは(デザインを手掛ける)クリエイション スタジオが決める」と言い切ったのだ。「それでも、反対したくなる、無茶だと感じるアイデアもあるでしょう?」と、食い下がると、いたずらっぽい笑顔を浮かべながら、2024年に発表されたオートマタ搭載モデルを例にあげた。8時位置のボタンを操作すると、マドモアゼル、ハサミ、そしてトルソーが、グレーのグラデーションで描かれたアトリエで仕事を始めるという“からくり時計”である。この複雑な機構を38mm径のケースに収めるのだから、素人目に見ても難航が予想できる。 質問は続く。シャネル初の自社製フライングトゥールビヨン ムーブメントの中央に、ダイヤモンド1粒が煌めきながら回転する「J12 ダイヤモンド トゥールビヨン」では、研究開発部門の提案がアルノー・シャスタンに2度却下された。トゥールビヨンの中央に載せるダイヤモンドとして2.5mm径を提案したようだが、これはウォッチメイキングとしては正しい。キャリッジが重くなることを避けるのが目的であり、精度にも影響するからだ。だが、ダイヤモンドの大きさが不十分という理由で差し戻された。その後、3.5mm径案も差し戻され、4.5mm径で許可が下りたという。トゥールビヨン中央に4.5mm径のダイヤモンドを載せる難題をクリアするため、65のファセットを持つようにダイヤモンドをカットし、最終的に0.18ctもの大きさとなった。 それでも、と断った上で高級時計製造部門の責任者は続ける。 「オートマタもトゥールビヨンもあのアイデアには驚きましたが、大事なのは明快なコンセプトです。個人的にクリエイションとして単純に面白いと思いました。その実現に向けて、研究開発部門はあらゆる可能性を検討します。シャネルのすべてはクリエイションで決まる。私たちの目的は美しい時計を作ること。テクニックはテクニックのためにあるのではなく、クリエイティブのために使われるのです」 ──思わず唸った。工房の誰もが同じように答えるではないか。これが本物のクリエイションなのか。「常に一流のものを作りたい」とガブリエル・シャネルが願ったように、ウォッチメイキングに携わる彼らには、いつどんな状況にあっても立ち返る場所がある。信念は理屈をも超越する、ということか。シャネルのクリエイション、これは途轍もなく強い。 最後に。 フランス語で前衛を意味するアヴァンギャルドは、戦争用語が語源。その革新性をもって、シャネルのクリエイションを表現する際に頻繁に使われるフレーズとして認識してきた。「J12」をはじめとするシャネルのウォッチメイキングにも通底するものではあるが、工房見学を経てそれだけでは言葉足らずであることに気づいた。 そもそもアヴァンギャルドという言葉が前衛という意味を持つには、前と後ろ、あるいは前進と後退がなければならないが、それは政治思想、芸術においても同様である。この日話を聞いた工房の責任者によれば、シャネルのクリエイションにおいて、その革新的技術やアイデアは組織で共有され、言語化され、そしてカルチャーとして継承されなければならないという。なるほど、シャネルのクリエイションは革新的でなければならないが、それだけでは足りない。彼らのウォッチメイキングは、文化の創造としての「衛」でなければならないのである。 PHOTOGRAPHS BY CHANEL WORDS BY AKIRA KAMIYA @ GQ