シャネルの流儀──クリエイションとウォッチメイキング
シャネルウォッチの象徴「J12」
今やシャネルウォッチを象徴するアイコンとなった「J12」が誕生したのは2000年のこと。高級ファッションブランドが作る時計としては予想外の素材、ブラックセラミックに全身を包んで登場した。硬質で加工が困難なセラミックという素材にあえて挑んだのは、創業者ガブリエル・シャネルが愛した黒を永遠に外装に留めるため。後にパールのように輝くホワイトを追加しているが、シャネルは金属を使わずにセラミックを採用することで、黒と白のブランドカラーを腕時計でそのまま再現することに成功したのである。 それだけではない。逆回転防止ベゼルやダイヤルのアラビア数字、そして線路型目盛りなど、ダイバーズウォッチやミリタリーウォッチの意匠をセラミックのケース&ブレスレットに組み合わせることによって、「J12」はスポーツウォッチとしての新たな可能性を示したのだ。 アーティスティック ディレクターだった故・ジャック・エリュが企画・デザインした「J12」は、当時は一般的でなかったセラミックに目を付けたことが革新的だったが、前述の通りブラックとホワイトの永遠の美しさを保つ、その1点のために未知の素材にチャレンジしたところに価値があった。安易な経年劣化を許さない、シャネルの絶対的な意志というか、美への執着、執念を感じてしまうところだ。
「何も変えずに、すべてを変える」
「J12」は現在シャネルにおいて時計のデザインを担当するアルノー・シャスタンによって2019年に初のフルリニューアルを果たしているが、そのお披露目の場でメディアは驚きを隠せなかった。見た目はほぼ従来に同じ、何も変わっていないように見えたのだ。 ところが詳しく見ていくと、ディテールの70%以上を変更したビッグマイナーチェンジであることがわかってくる。わずかに薄くなったベゼルはダイヤルを拡張して余白を広げ、アラビア数字のインデックスはセラミック製となり、書体も手が加えられている。そして、ベゼル外周の突起を小さくして数を増やすといった具合で、いずれも見た目は極々わずかな変化に留めた。スポーツウォッチとしてのスタイルを変えなかったのである。 まさに「何も変えずに、すべてを変える」というクリエイションを選んだわけで、「ファッションは移り変わるが、スタイルは永遠。」──創業者の意志をここにも確認することができるが、これもまたシャネルというブランドの流儀なのだろう。 そんなシャネルの工房見学ツアーにあたって取材テーマに掲げたのが「クリエイション・ファーストは本当なのか?」である。時期は定かではないが、毎年春にスイスで開催される時計見本市のシャネル ブースで「デザインから時計づくりがはじまる」「時計のための時計は作らない」という剛担なプレゼンテーションを聞いたことが工房見学を依頼したきっかけだった。 「デザインありき」とは聞きなれたフレーズではあるが、ウォッチメイキングの現実はデザイン部門よりも設計・製造部門の意見が強いのが一般的だ。それもあって、クリエイションが何よりも優先されるというシャネルの主張を懐疑的に見ていたことは否定しない。歴史のあるスイスの時計ブランドでは、「こんなものはできない」とばかりに、設計・製造がデザイン案を否定、突き返すようなエピソードを何度か聞いたことがある。 余談だが、このプレスツアーの帰国後、某国産メーカーの関係者に「デザイン>設計・製造」というシャネルのウォッチメイキングのあり方について報告したところ、「信じられない」と目を丸くしながら、「ウチは設計・製造の声が極端に強い」と明言している。 ところがシャネルはこれを否定して、コンセプトやデザインを担当するパリの「シャネル ウォッチメイキング クリエイション スタジオ」の声が優先されると言い切る。その真偽を確かめる──それがシャネルのウォッチメイキングの拠点を訪問する目的となった。 前置きが長くなったが、シャネルが時計製造を行う自社工房の取材を進めよう。 シャネルの自社工房は、ラ・ショー・ド・フォンとル・ロックルを結ぶ小高い丘の中腹に居を構える。市街地の西部にあたるこのエリアは急成長を遂げた工業団地であり、周辺にはタグ・ホイヤーやブライトリングの関連施設が立ち並ぶ。文字盤製造やエングレービング、ケース製造ほか、仕上げ専門業者やパーツ組み立て業者といった多くの関連会社が密接に結び付いた時計産業の中心地ではあるものの、大きな道路を挟んだ反対側の丘の中腹には放牧された羊を確認できるなど、工業地帯とは思えないのどかな雰囲気が印象的だ。 約30段ほどの階段をのぼると現れる総ガラス張りの正面玄関は、シャネルのクリエイションへの期待を膨らませるに十分な佇まいと美しさを見せる。だが、「CHANEL」のフラッグこそ掲げているものの、過剰にメゾンのウォッチメイキングの拠点であることを主張しない。 工房の前身となる1947年創業のG&Fシャトランは時計のブレスレットなどの外装を手掛けたマニュファクチュールが出自だ。シャネルとの関係がスタートしたのは、1987年にシャネル初のウォッチコレクション「プルミエール」をローンチする際、金属切削加工技術に長けたケース&ブレスレット会社としてG&Fシャトランに託したのがきっかけとなる。後継者がいなかったオーナーから1993年に同社を買い取ると、時計製造の拠点としてケースやブレスレットの製作に加え、最終的な組み立てもここで行うようになり、垂直一体化構造を持った時計マニュファクチュールが完成した。 ところで、シャネルは「J12」のセラミックを完全自社製造としているが、必ずしも内製ありきとは考えていない。時に内製システムにはクリエイティブにとって制限、制約を伴う場面があり、良質なパーツを効率的かつスピーディに入手できるのであれば必ずしも内製にはこだわらない、というのである。ファッションやジュエリーを出自とする非専業メーカーには自社一貫製造を強調するブランドが少なくないが、クリエイションのためであれば外注を積極的に採り入れる、というのがシャネルの方針なのだ。 加えて、自社で研究・開発した高耐性セラミックのノウハウを他社に販売・共有することもある。そのクリエイション、つまり「芸術的な職人技」は独占するものではなく、継承されるべき技術・文化であり、時計業界に還元することを厭わないということなのだろう。創業者であるガブリエル・シャネルの精神に従い、文化・芸術の後援を積極的に担っているシャネルだが、その姿勢はウォッチメイキングにおいても揺るがない。サヴォアフェール── メゾンの哲学を伝える際にシャネルはこのフランス語を用いるが、「次に起こること」の一翼を担いたいというヘリテージは確かに継承されているようだ。