複数の勧誘も拒否…“自力”で名門校に入学 「どうにでもなれー」で克服したトラウマ
1球目をガツン! アピール成功し1年秋から外野のレギュラーに
高校は自宅通い。「電車で行くときもあれば、車に自転車を積んで中間地点まで送ってもらって、そこからチャリで行くとか、いくつかパターンはありましたけどね。自転車に乗るのは30分くらいかな。まぁ、父親もそうですけど、基本、母親がメインで送ってくれました。今、考えてもむちゃくちゃ、感謝しています」。家族の応援も背に受けて高校生活は始まった。 「同級生にはスカウトされて野球部に入った子がいっぱいいました。体が大きいし、そりゃあ、そうだよねって子もいましたよ。でも、そういう子たちが優遇されているって感じたことは一度もなかったです」。レベルの違いもあまり感じなかったそうだ。「逆に、あれって思いました。不安はあったんですけど、そうでもないな、みたいな」。実際にスカウト組と遜色ない力を発揮した。「1年夏はスタンドで応援でしたが、1年秋からスタメンで使ってもらいました」。 鯖江ボーイズでは硬式球に怖さを感じて辞めることになったが、福井商ではそれも克服した。「監督に1年生のお披露目みたいなのがあってバッティングしたんです。ボーイズの時の記憶がよみがえって、めちゃくちゃ(硬式球が)怖くて嫌だなぁって思ったんですけど『もう、どうにでもなれー』って感じで振ったら1発目にパキーンと打てたんですよ。そこからは単純なんで、もう大丈夫と思ってパカパカ打ったんです。たぶん、それもあって秋から使われたと思う」。 笑いながら天谷氏は話を続けた。「僕ってけっこうメンタルに左右されやすい性格なんでスタートがよくて、本当によかったって思います」。もしも北野監督の前での1球目をうまく打てなかったら「たぶん、(その後も)駄目だったでしょうね」とさえ言う。「プロでもずっとそういうのがありました。最初がうまくいったらいいけど、いかなかったら調子も悪くなるって感じでね」。福井商での思い出の一打は、野球人生にも影響を与えるものだった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi