終わりのない「苦しみ」がずっと続く...話し合いで「自分の意見を言わない人」が知らず知らず背負っている“サンドバック化”のリスク
「便利な奴」扱いされないためには
みんなで何をするか相談している時に、ただ黙っていれば、とりあえずはぶつからなくてすむよね。 誰かとぶつかるぐらいなら、自分がガマンすればいい――そう思ってやりすごそうとする気持ちはよく分かる。 でも、その結果、どういうことが起こるだろうか。 自分の要求を決して言わず、ただ黙って他の人の意見にうなずいていると、だんだん、周りは「あいつは、なんでも黙ってオッケーしてくれる、とても便利な奴だ」と思うようになってくるだろう。 そうなると、間違いなく周りの要求はどんどんエスカレートしていく。 君の要望は聞かれないまま、いろんなことを押しつけられるようになるんだ。 ぼくは、これを「サンドバッグ状態」と呼んでいる。 そう。みんなが殴るサンドバッグ。黙って殴られ続けるサンドバッグ。そんなのになるの嫌じゃない? だって、君は人間で、サンドバッグじゃないんだから。 ぼくにこっそり質問した彼は、考え込んだ顔になっていました。
ふたつの「苦しさ」
それでね、ぼくが言いたいのは、「どっちがより苦しいか」ってことなんだ。 自分のやりたいことを言わないで、その場をスルーすると、ぶつかることもないし、もめることもない。安心だよね。 でも、とりあえずの安心を続けていると、いつのまにかサンドバッグにされてしまう。その時に感じる「苦しさ」があるよね。 もうひとつは、毎回、毎回、「自分の要望」をちゃんと言って、場合によっては周りとぶつかって、嫌な思いをする「苦しさ」。 どっちも苦しいのは間違いない。でもどっちがより苦しいだろう――そう考えてみるのがいいと思っているんだ。 自分の希望を言って周りとぶつかる「苦しさ」は、一時的な「苦しさ」だ。でも、サンドバッグにされて、自分の要望を我慢し続けるのは、ずっと続く「苦しさ」だ。 どうだろう。じつは、ぼくは、ずっと続く「サンドバッグの苦しさ」の方が大きくて、つらいと思ってるんだ。「その時にぶつかる苦しさ」は、長く続かないし、うまくいって、もめない時もあるかもしれない。でも、「サンドバッグの苦しさ」は、間違いなくエスカレートしていく。 そして、恐ろしいことに終わりがないんだ。 君はどっちの「苦しさ」を選ぶ? もし、君がそれでも「サンドバッグの苦しさ」を選ぶと決めたら、もうこの本は必要ない。友だちにあげるか、古書店に売り飛ばせばいい。 でも、もし、「ぶつかってもいいから、一時的な『苦しさ』を選ぼう」と思えたら、「一時的な苦しさ」を減らす方法を、そして「苦しさ」そのものを失くす方法を知るために、この本を読み続けてほしい。 それはすべて、コミュニケーションのテクニックなんだ。 『「みんなと仲良くしなくていい」...協調性に固執する日本人が見落としがちな“当たり前”のコミュニケーション技術』へ続く
鴻上 尚史