「いまから母を殺しに行きます」…ナイフを持った”20代女性”を前に、ベテラン臨床心理士が返した「意外すぎる答え」
「母親を殺したい」と女性は、ナイフを取り出して
「いまから母を殺しに行きます」 やや上気した表情でわたしにそう告げて、バッグからナイフを取り出し、この女性は立ち上がった。向かいに座るわたしを見下ろし、「いいですね」、と。何もいえなかった。これまでなんどもなんども、くり返し、母親への憎しみを語ってやまなかったこの女性のこころの内を慮ると、応えることばがなかった。「やめなさい」などとはよもやいえなかった。そういおうものなら、「先生はわたしの苦しみをわかっていない!」と、なじってくるだろう。 【写真】医者が明かす「痛い死に方ランキング」ワースト50 その姿が目に浮かんだ。いや、正直にいえば、殺したいと思っても不思議はないだろう、そう感じる自分さえいた。しかしもちろん、それを認めるわけにはいかない。いったい、どうすれば良かったのだろう――。 * * ある日、上司から突然手渡された原稿は、こんな書き出しで始まった。著者は、心理臨床学の泰斗・河合隼雄氏から、40年以上にわたる薫陶を受けてきた臨床心理士の皆藤章氏。 相談の主である女性は、すでに成人を過ぎており、まだ幼い頃、工事用の土砂が山と積まれた家の近くで遊んでいたとき、事故に遭って、生涯消えない傷を身体に負うことになったのだという。近所の人と世間話に興じていた母親の目が離れた隙に起きた事故だった。 決して消すことのできない過去と母親への憎しみを背負って、20年近い人生を生きてきた女性が発した冒頭の言葉に、臨床の専門家は一体どんな答えを返すのだろう。 息を呑む思いで読み進めていったが、結果は予想だにしないものだった。
「もう二度としません」
* * ナイフを手にしたこの女性に見下ろされながら、これまでの道往きが走馬灯のように浮かんでは消えていった。いつしか、わたしの目から涙が溢れてきた。その姿を見せまいと堪えるのだが、呻き声とともに、涙は零れていった。 そんな姿を、この女性はどんな思いで見ていたのだろう。きっとわずかな時間だったにちがいないのだが、途方もなく長く、苦しく感じる時間だった。 そのうち、ナイフをバッグにしまって椅子に腰掛けたこの女性は、静かにいった。 「もう二度としません」 嵐の海が凪いだようだった。そんなことばが、いったいどこから生まれてきたのだろう。この女性になにが起こったのだろう。わたしにはわからなかった。おそらく、この女性もどうしてそんなことばを口にしたのか、わからなかったのではないだろうか。 こんなことがあってから、身体の傷へと収斂していった話は、その方位を変えていった。母を憎んでばかりいては自分の人生が台無しになるとか、いつまでも母を憎んでいたところでわたしの人生はどうなるわけでもないとか、そんなことばがときおり口をついて出るようになっていった。