「幻の城」見えてきた実像 武田信玄が築城後に改修重ねる? 台風災害で決壊した千曲川の堤防近くで発掘調査
2019年の台風19号災害で決壊した長野市穂保の千曲川堤防沿いにあり、戦国大名武田信玄が治めた長沼城跡の発掘調査が終了した。県埋蔵文化財センター(長野市)によると、「三の丸」推定地の平場など複数箇所で拡張工事の痕跡が見つかるなど、城の実像に迫る成果があった。一帯では防災拠点「河川防災ステーション」の整備工事が進み、城の遺構は既にほとんどが埋め戻された。同センターは来年度から発掘報告書の作成に着手し、城の姿を記録に残す。 【写真】長沼城跡の堀の中から見つかった勢至菩薩像。顔の表情が精巧に作られている
■上杉謙信に対する最前線拠点
長沼城は上杉謙信に対する最前線の拠点として信玄が整備。水害や開墾で痕跡はほとんど失われ、「幻の城」と呼ばれた。発掘調査は、河川防災ステーションの整備計画を受け、21年度から始めた。
■武田氏の城に特徴的な「三日月堀」
調査を担当する同センター調査研究員の伊藤愛さん(38)によると、これまでの調査で、三の丸跡と推定される場所では、築城当初の堀を埋めて平場を西側へ数メートル拡張した痕跡が見つかった。拡張の跡は武家屋敷跡でも見つかったほか、武田氏の城に特徴的な「三日月堀」も、築城当初より大きく改修した可能性を指摘する声がある。
■改修が重ねられた可能性
城の造成に使われた土には多量の炭がまんべんなく混じっており、戦火などによる焼け跡をならして、その後も利用したことを物語るという。拡張・改修の時期や目的については今後の検討課題。長沼城が武田氏やその滅亡後に領主が変わりゆく中でも必要とされ、改修が重ねられた可能性がある。
ほかに、「虎口(こぐち)」と呼ばれる城の出入り口と虎口に連なる土橋を発見。石列や一定間隔で打ち込まれた木杭による土塁の土留め工事の痕跡なども確認した。
■想定されていた縄張りとほぼ一致
同センターではこうした発掘成果を基に、城の縄張りの想定図を新たに作成。江戸時代の絵図などを基に想定されていた縄張りとほぼ一致することが分かった。伊藤さんは「石列や木杭の土留めが、土塁と堀の境目の把握に役立ち、図をはっきり描けたのは大きな成果」と話す。
■堀の中から遺物や動物の骨が
遺物では、堀の中から銅製の勢至菩薩(せいしぼさつ)像が見つかった。高さ4・5センチと小さいが、顔の表情などが精巧に作られている。制作時期は鎌倉時代までさかのぼるとの指摘もあるという。堀の堆積土からは山犬などとみられる動物の頭骨が出土。祭祀(さいし)に用いられた可能性があり、DNA鑑定で種類を特定する。
■江戸時代よりも武田氏時代の痕跡多く
見つかった遺物は中世のものが多く、江戸時代よりも武田氏時代の痕跡が多いことが見えてきたという長沼城。伊藤さんは「文献史料を調べたり、遺物を整理したりする中でより詳しく分かってくることも出てくる」と期待している。(井口賢太)