“自称・武豊王”池添謙一騎手に聞く 4500勝達成のレジェンド・武豊騎手に憧れつづける理由とは?
JRA通算4500勝を達成した競馬界のレジェンド・武豊騎手のメモリアル企画として、ゆかりの深い関係者に複数取材。 【動画】2500人が選ぶ2023年“神騎乗”TOP5 第3弾はnetkeibaTV『謙聞録-kenbunroku-』でおなじみの池添謙一騎手。“武豊愛”を競い合う番組内の人気企画『自称・武豊決定戦』では、数々の強敵を相手に4連覇を達成するなど、自他ともに認める業界内No.1の武豊ファン。「憧れるのは、やめましょう」な時代に逆行する池添騎手が、武豊騎手に憧れ続ける理由とは? (取材:不破由妃子) ──前人未到の4500勝を達成された武豊騎手の特集ということで、ここは謙聞録の対決企画『武豊王』を4連覇中の池添さんにご登場いただかなければと思いまして。 池添 はい、自負しています(笑)。豊さんに憧れてジョッキーになりましたからね。大好きですし、めっちゃファンです。 ──池添さんについては、武さんが4400勝(2023年2月4日)を達成された際に小倉まで駆け付けたことも、4500勝のときは勘違いが原因でセレモニーに参加できなかったことも、どちらもニュースになったくらいですからね。 池添 そうでした(笑)。4400勝のときは、僕、ケガで休養中でしたからね。普通はなかなか小倉まで行かないですよねぇ。しかも、朝一の新幹線に乗って。我ながら、武豊オタクが過ぎるなと(笑)。 ──池添さんが最初に武さんに憧れを抱いたのは小学生時代、しかも低学年の頃ということですから、ファン歴はかれこれ35年以上。最初はどんな姿を見て心を動かされたのですか? 池添 きっかけは、スーパークリークの菊花賞(1988年)です。あのレースで豊さんの名前を知ることになったんですけど、明らかにまだ若いし、後々調べてみたら、前年には新人賞の記録も更新している。しかも2年目で大きなタイトルを獲るなんて、なんてカッコいい人なんだと思って。そこからですね。 ──池添さんもお父さまの兼雄さんがジョッキーで、栗東に住んでいらした。でも、武さんのことは知らなかった? 池添 まだ競馬を全然知らない時期で、初めて見たレースがその菊花賞でした。自宅のテレビで見ていたんですけど、今でも強烈に覚えてますよ。 ──武さんとの記念すべきファーストコンタクトは? 池添 小学校高学年の頃だったかな、父に競馬場に連れて行ってもらったときだったと思います。たとえば好きな芸能人やスポーツ選手に会ったときって、つい呼び捨てにしてしまう…みたいなのありますよね? あれと一緒で「うわぁ、武豊だ…」みたいな(笑)。「こんにちは」って挨拶をするのが精一杯で、すでにジョッキーを目指していたこともあって、本当に憧れの人を見る感じでした。そのあと、小倉競馬場の調整ルームで一緒に風呂に入ったこともあったなぁ。 ── 一緒にお風呂? 池添 父が小倉に乗りに行っていて、そのときに豊さんもきていて。当時は今と違って、関係者の子供たちも調整ルームの風呂に入れたんですよ。僕は弟(池添学調教師)と一緒にいたんですけど、学が「豊さんの裸や!」と張り切ってたとか(笑)。僕は覚えていないんですけど、学はよく覚えているみたい。 ──その後、競馬学校に入学されて、“武豊”がより近い存在に。漠然とした憧れから輪郭を伴った憧れへと変化していったのでは? 池添 ここで3年間を過ごして免許試験に受かれば、豊さんと同じジョッキーになれる。そういう未来が現実味を帯びてきたことで、学校に入って以降、豊さんに対する緊張感というのは常にありました。ただ、輪郭を伴った憧れに変化していったかとなると、むしろ逆で、その偉大さを実感するにつれ、憧れを超えて雲の上の存在に変わっていった感じですね。実際、デビューして2年くらいは、挨拶くらいしかできませんでしたから。 ──それは意外です。緊張して話しかけられなかったとか? 池添 はい。なんかね、話しかけづらかったというか、話しかけることができなかったというか…。ただ、3年目の暮れに、一緒にアメリカに行かせていただいたことで変わりました。当時、豊さんは年末にサンタアニタに乗りに行くのを恒例にしていたので、「一緒に行かせていただいていいですか?」とお願いしたんです。それが初めて交わしたちゃんとした会話だったような。で、「いいよ」と言ってくださって、一緒に行かせてもらって。 ──アメリカでは、ずっと一緒に過ごされていたんですよね? 池添 1週間くらい、ずっと一緒でしたね。そこでめちゃくちゃ距離が縮まりましたよ。次の年の夏、今度はフランスに一緒に行かせてもらって、そこでさらに深くなって。最近もちょくちょくご飯を食べに行ったりしていますよ。豊さんのお宅にお邪魔させてもらったり。 ──聞いたところによると、武さんを前にすると今でも緊張するとか? 池添 緊張しますねぇ。まぁお酒を飲み始めたら、だいぶ緩みますけど(笑)。 ──池添さんも数々のビッグレースを制し、早いものでキャリア27年目を迎えるベテランジョッキーに。ここまでキャリアを重ねられた今、改めて感じる“武豊”のすごさとは? 池添 そつのないレースぶりは昔からそうですが、豊さんが突出しているのは、やっぱりペース判断だと思います。逃げるにしても、正確なラップを刻んで馬に負担を掛けない逃げ方をしますし。そのあたりはもう群を抜いているのかなと思いますね。 ──そういう技術的なアドバイスを武さんから受けたことはありますか? 武さんが後輩に教えているとか、武さんに教えてもらった…という話をあまり聞いたことがないし、福永さんからも「あの人は教えてくれない」と聞いたことがあって。 池添 僕は自分から聞いたことはないです。以前、何かの記事だったかな、豊さんが「河内さんから『目で盗め』と言われた」と話しているのを読んだことがあって。豊さんはたぶん、実際に先輩ジョッキーたちの技術を目で盗んで、自分なりに勉強をしながら、今の地位を築いてきた。だから、僕もほかの先輩ジョッキーには聞きますけど、豊さんの技術に関しては目で盗もうかなと思っています。 普段は世間話もするし、ざっくばらんな話もいろいろとするんですけどね。あとは、「この馬、どうですか?」とかは聞きます。でも、こと技術的な内容については、今後も聞かないでしょうね。 ──生けるレジェンドのストーリーはまだまだ続いていくと思いますが、今改めて、武さんにはこんな存在でいてほしいといった願いはありますか? 池添 それはもう豊さん本人がね、自分がどうあるべきかということをものすごくわかっている方なので、僕から言うべきことはないです。僕にとってずっと憧れの存在であり続けるのは間違いないですし、とにかく僕はその背中を追いかけるだけ。少しでも近くで、少しでも長く、豊さんの背中を追いかけ続けられたらいいなと思っています。