世界最年長サッカージャーナリスト賀川浩さんを悼む…W杯10大会現地取材、91歳でFIFA会長賞受賞
「世界最年長のサッカージャーナリスト」賀川浩さんが5日、兵庫・神戸市内の病院で亡くなった。99歳だった。 【写真】W杯最終予選10月Rに遅咲き28歳FW大橋祐紀を初招集…森保監督「最大の狙い」 数年前から老人ホーム暮らし。10月に「賀川さんの体調がすぐれない」と公私に渡って香川さんを親身にサポートしていたサッカー関係者に聞かされた。 100歳を迎える今月29日に誕生日会が予定されていたというが、百寿を前に旅立ってしまった。 1924年(大正13年)に神戸市で生まれた賀川さんは、先の大戦で特攻隊の訓練中に終戦を迎え、神戸大を卒業して1952年に産経新聞社に入社。サンケイスポーツの編集局次長だった74年、西ドイツ(当時)W杯を現地取材。編集局長を務めて退社後、フリーのサッカージャーナリストとして健筆をふるった。 W杯は1974年西ドイツ大会から2014年ブラジル大会まで計10大会を現地取材。その功績が認められて2015年1月、91歳でFIFA(世界サッカー連盟)会長賞を受賞した。「世界最年長のサッカージャーナリスト」のお墨付きに同業の後輩一同、誇らしい気持ちになったものである。 初めて単独のロングインタビューに応じていただいたのが、2011年3月に起きた東日本大震災の翌4月だった。実際に遭遇した1938年の阪神大水害、1995年の阪神・淡路大震災に加えて東日本大震災など「自然災害の猛威」に対して「サッカー界がなすべきこと」をじっくりと聞いた。 当時86歳だった賀川さんは、たかだか50歳の若輩記者に偉ぶるなんてことは微塵もなく、物腰柔らかに鋭敏な記憶力と分析力を披瀝しながら、興味深いエピソードの数々をお話いただいた。 今でも記憶に残っている言葉がある。 「私は身長が低い(153センチ)けど、相手ゴール前でガチャガチャ動き回ってゴールを決めていたら、2歳上で中肉中背の元日本代表の兄貴(太郎氏)が『サッカーはチビの方がええのかな?』と聞いてきた。サッカーは体格勝負やない。南アW杯でスペインのイニエスタ(170センチ)がチョコマカ動くと相手の大男たちが足をバタバタさせて抜かれていた。日本人の特徴(高い技術や俊敏性など)を生かせば、これからも日本サッカーは強くなっていきます」 ブラジルW杯の翌年だったか、埼玉スタジアムで行われた日本代表戦に旧知のイラン人ジャーナリストと一緒に取材に出かけた。取材受付近くのベンチに座っていた賀川さんにイラン人ジャーナリストを紹介した。 すると賀川さんは「イランの方ですか? ウチの兄貴、太郎というんですが、日本代表としての最初の国際試合が、51年3月にインド・ニューデリーで開催されたアジア大会のイラン戦だったんですよ。いやぁ~イランの人とお会いできてうれしいです。またお会いしましょう」。矍鑠(かくしゃく)とした賀川さんと180センチ超のイラン人ジャーナリストが背中を丸め、恐縮しながら握手していた光景を思い出す。合掌。 (文=絹見誠司/日刊ゲンダイ)