ムツゴロウ なぜ私の身に人の死を<普通のもの>と受けとめようとする習慣がついていたのか?「医者の家に生まれ、狭い私の勉強部屋はしばしば手術室になった」
ナチュラリストであり、動物研究家でエッセイストだった、ムツゴロウこと畑正憲さん。2023年4月5日に亡くなられたムツゴロウさんですが、実は無類の麻雀好きで、日本プロ麻雀連盟最高顧問という肩書もお持ちでした。そのムツゴロウさんの一周忌にあわせて刊行される『ムツゴロウ麻雀物語』より、「動物との交流もギャンブルも命がけだった」ムツゴロウさんの日々を紹介いたします。 【書影】「動物との交流もギャンブルも命がけ」だったムツゴロウさんの自伝『ムツゴロウ麻雀物語』 * * * * * * * ◆人の死に対して、私は冷静さを粧うのが好きだった テレビで五味(ごみ)さんの訃報(ふほう)に接した瞬間から私は落ち着かなくなっていた。 青山の事務所の中を、煙草(たばこ)をふかしながら歩きまわった。椅子(いす)に座ると、五味さんの、細い、やさしい声が聞こえる気がした。五味さんとは特別の付き合いをしてきたわけではないのに、このままでは済まないという思いがあった。 これは私にしては珍しいことだった。 冠婚葬祭とまとめてもいいと思うが、特に人の死に対して、私は冷静さを粧(よそお)うのが好きだった。冷淡と言っていいぐらいに、そうかとだけ頷(うなず)いて、死にまつわる悲しさを心の中の小箱にしまいこんでピンと鍵(かぎ)をかけてしまうのだ。 死は、その人にとって、祝福さるべきものだという、ひそかな思いがありもした。生きていくことは、痛苦と汚辱にみち、片時も心が安まらず、だからこそ人は、生の歓喜を大声で歌いたがるのだ。 死が訪れさえすれば、体を造り上げる細胞の一つ一つ、数十億、数百億ある細胞の一つ一つが、活動することから解放され、緊張をといていく。
◆細胞の死 動物学を学んでいた頃(ころ)、何度、細胞の死に接したことか。 生きている細胞の中には、絶え間のない動きがある。熔岩(ようがん)の流れに似た、重っ苦しい流れが起こって、ラグビーボールの形をした核がぐらりと揺れたりする。細胞の中には、大小さまざまの粒が浮いていて、それぞれに光りながら、無秩序に動きまわっているように見える。 研究の徒として私が選んだのは、細胞の中のその得体の知れぬ動きの中に、必ずあるに違いない、法則性を発見することだった。何かきまりがあれば、それは命というものが持つ、不可思議な秘密の、最も原始的なものだと言えるだろう。 夜を徹して、私は細胞をいじくりまわした。単細胞の生物のこともあれば、人から採取した生きている細胞のこともあったりした。 動きはある―あるけれども、人の智恵(ちえ)ではくくれない。気まぐれとしか思えない、乱雑なもののようでもあった。しかし細胞が数え切れぬほど集まって一つの生物体を構成すると、一見分かりやすい形になってしまう。