高橋海人主演「95 キュウゴー」ドラマの映像✕小説の描写で解像度が一気に上がる! 90年代の青春を小説で味わう
■小説とドラマ、この違いに注目!
ということで大人パートが(今のところ)カットされているので、そこはぜひ原作で脳内補完していただきたい。でもきっとこの先、大人パートもやると思うんだよね。そうじゃないと話が閉じないので。この物語はリアルタイムの95年を描くのではなく、それを20年後に思い返し、あの時代は何だったのかと彼らが自分なりに総括し、当時の積み残しのケリをつけるという物語なので、きっと最終回あたりに大人が勢揃いするはずなのだ。してほしい。 だが実はそれ以上に大きな違いがある。ドラマと小説の違いは──いいですか、ものすごく当たり前のことを言いますよ──ドラマには映像がある、ということ。 何を当然のことを、と思ったでしょ思ったよね? いや、当たり前なんだけども、この物語に限っては特に映像の力がすごい。原作でもポケベルとかルーズソックスとか95年の風景や流行がたくさん描写されるけど、ドラマでは当時の映像をインサートしてくるわけよ。この説得力たるや。コギャルだのチーマーだのが闊歩する繁華街の様子、そして地下鉄サリン事件が起きた時のリアルな報道映像。当時のテレビは今と画角サイズが違っていて、もちろんデジタルでもハイビジョンでもなくて、狭い画角にやや荒目の画質があいまって、え、これテレ東のドラマだよね、NHKの「映像の世紀」じゃないよね? と思ってしまうほど。 また、原作ではQが登校途中に「自作した小沢健二ベスト」を「ウォークマンで聞いている」という場面がある他、当時のヒット曲がいろいろ出てくるんだが、ドラマでは実際に曲が流れるのもいい。その一方で、原作に出てくるのにドラマでは触れられないものもある。当時のヒットドラマだ(他局だもんね)。特に1995年の秋に始まったいしだ壱成・桜井幸子主演の「未成年」(TBS)は原作小説では大事な意味を持つので要チェック。 もちろん原作小説を読むだけでも著者の描写力で当時の風景がぐああああっと浮かんでくるのだけれど、それは私が95年を知っているから。当時を知らない若い世代が文字だけでは想像の及ばない部分がこうして映像で見られるというのはすごいことだなあ。文字だけで無限に世界が広がるのが小説の醍醐味ではあるけれど、映像や音声ならではの効果というものもあって、それらを見聞きしたあとでもう一度小説に戻ると解像度が一気に上がるぞ。