「夏甲子園中止」報道に元阪神”ゴジラキラー”遠山昭治・浪速高監督が悲痛な願い「全国球児に道標を。甲子園無理でも地方大会は開催して欲しい」
地方大会の開催可否の裁量は各都道府県の高野連が持っているため、6月下旬から北海道、沖縄でスタートする予定の都道府県大会だけは、地域によって開催される可能性はまだ残されている。遠山監督は、たとえ、その先にある夢舞台への道が絶たれたとしても、球児たちの高校3年間の汗と涙の努力の結果を示す場所として、地方大会の実施に一縷の望みを託し、悲痛な現場の声を代弁した。 遠山監督は、1985年に熊本の八代第一(現秀岳館)からドラフト1位で阪神入団。1年目から吉田義男監督に抜擢されて先発ローテーション入りを果たし8勝を挙げた。その後、ロッテへトレードされ、野手転向もしたが、1997年に戦力外となりテストで阪神に再入団。野村克也監督の助言でサイドスローに変え、遠山ー葛西ー遠山の変則起用に応え”ゴジラキラー”として甲子園を沸かせた。 1999年にはカムバック賞を獲得している。2002年に引退。その後、阪神でコーチ業を務めたが、2011年を最後に阪神の2軍コーチを退任。2014年に講習を受け学生野球資格を回復し昨年6月に知人を通じて臨時コーチとして浪速高校に誘われた。 その指導力を買われ秋の新チームから正式に投手コーチとなり、11月から監督に就任しチームの再建を託された。浪速高はセンバツに2度出場した実績のある私立で、2001年センバツでは8強入りしているが、夏の甲子園出場は一度もない。昨年夏の大阪大会は初戦(2回戦)には勝ったが、3回戦で公立高校の三国丘に1-3で敗れている。 「高校野球の監督はなろうと思ってもなれるものじゃないからね。年齢的にもラストチャンスかなと思ったし、最後は生徒たちを教えたい気持ちが上回った。これも縁だと思って。今ある浪速の伝統に、新しい風を吹かせ、土台を築けたらと思ったんですよ。2月はいい感じで練習できていたし、ワイワイ楽しく浪速らしいチームをつくろうと思っていた矢先。さあ、これからというときにこれですから」