一種の「軽さ」が真骨頂、異質の絵画・浮世絵と日本建築―すみだ北斎美術館
江戸時代を代表する日本文化・浮世絵は、世界中で高い評価を受けています。浮世絵の独自性は、現代日本に、どのようにつながっているのでしょう。建築家で、多数の建築と文学に関する著書でも知られる名古屋工業大学名誉教授、若山滋さんが、すみだ北斎美術館(東京都墨田区)と浮世絵を取り上げます。
素晴らしい組み合わせ
葛飾北斎は天才である。 妹島和世は優れた建築家である。 しかしその素晴らしい組み合わせになる「すみだ北斎美術館」はどうだろうか。 筆者の好きな組み合わせだから、楽しみにして観に行った。小さな公園を前庭にした外観はさすがに迫力があって心が躍る。狭い隙間のようなところから中に入るのもいい。だが入り口ですぐにやや雑な空間だと感じる。エレベーターを主とした導線も美術館には向いていない。展示には色々工夫がされていて、それなりに楽しめるが、同じ設計者による金沢21世紀美術館のような、建築の基本的な構成と展示空間のみごとな融合は感じられなかった。 実のところ、これまで現代建築家として伊東豊雄と安藤忠雄を取り上げたので、次は妹島和世をと考えていたのだが、これをその作品として紹介するのは適切でないかもしれないと、書くのを手控えていたのだ。 しかしこの絶好の組み合わせを放っておくわけにもいかない。気を取り直して筆を執る、いやキーボードを打つことにする。
北斎の天分
北斎は晩年に驚くべき跳躍をした。 自身「70歳までに描いたものは取るに足りない」といったが、たしかに「富嶽三六景」を描いてからと、それまでの作品とでは雲泥の差がある。そして90歳で没したが「あと10年、いや5年あれば真正の画工になれる」といった。今のように長生きする時代ではない。すさまじい生命力と創作欲である。 建築家でも、オットー・ワーグナー、フランク・ロイド・ライト、ル・コルビュジエなどは、晩年に、それまでの作風とは違った傑作を残している。天才とは、晩年に衰えないばかりでなく、予想もつかない進化を遂げるもののようだ。 筆者は、他の浮世絵師にはない北斎の天分として「アングル、人の動き、ドラマ性」があげられると思う。 「富嶽三六景」で示した人の意表を突くアングルは、近景に人々の暮らしを、中景にその場所の風景を、遠景に富士を描き、日本人の生活と列島の風景を融合させた一つの文化を構成したのだ。そしてそれぞれの職業に従事する人物の描写が的確で、なによりも動きが感じられる。晩年の絵にはドラマ性が強く、これは読本、特に滝沢馬琴の挿絵を描いたことにもよるのだろう。馬琴のストーリーには幾分か怪奇性があり、北斎の絵とよくマッチした。 アングルの奇抜さは広重にも、ドラマ性は国芳にもあるが、どちらも北斎の影響を受けている。とはいえもちろん、喜多川歌麿の美人画、 東洲斎写楽の役者絵、安藤広重の風景画、歌川国芳の物語絵は、それぞれ一家をなしているので、ここでは北斎だけではなく、むしろ浮世絵という日本文化の特質について考えたい。