「学ぶことで自分の作品を理解できるようになった」日大芸術学部から早稲田大学大学院へ 写真家の登竜門でグランプリ受賞 写真家・カメラマン 逸見祥希のターニングポイント
県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。第106回のストーリーは三沢市出身で写真家・カメラマンの逸見祥希さん。 【画像はこちらから】理系写真家、逸見祥希のターニングポイント 現在、エネルギー開発と地域との共生をテーマに、太陽光パネルが設置された風景などを中心に、写真家・カメラマンとして活動している。 ■勉強は理科が得意 子どもの頃はおとなしかったという逸見さん。勉強は理科が得意だった。 逸見祥希さん 「中学校に入ってからは理科が得意で好きになったのでそこから、漠然と化学者になりたいと考えていました」 化学者を目指し進学したのは八戸工業高等専門学校。 逸見祥希さん 「僕が入った学科の名前は『物質工学科』(※現在は『マテリアル・バイオ工学コース』)っていうのですけど、ずっと化学を専門に学んでいました」 高専では写真部に入部。それは、姉からの影響だった。 ■姉の影響でカメラをはじめる 逸見祥希さん 「3つ上の姉が先に高校で写真部に入っていたんですね。それで姉が高校のフォトコンテストで、結構写真の賞を取っていたので、姉ができるなら自分もできるだろうと思って、それがきっかけで始めましたね」 最初は学校の友人など、人物を中心に撮影していた。 逸見祥希さん 「高校生の時に感じていたのは、もちろん撮ることも楽しいのですけど、良い写真が撮れた後に人に見せて、これ良い写真だねとか面白いねとか、写真を介して一緒にいろいろな話ができるのが写真の魅力だなと」 徐々にアマチュアのフォトコンテストに応募し、賞を取ることも増えた。そこで自信もつき始め、将来は写真の仕事に就きたいと考え、反対していた両親を説得し、日本大学芸術学部写真学科に入学。 逸見祥希さん 「全国から写真を極めたいという学生が集まってくるんですよ。そこに飛び込んで果たして対抗できるのかっていうのは、正直結構怖かったですね」 人物を中心に撮影していた逸見さんだったが、大学の休みに青森へ帰省した際に見た地元の風景に大きな影響を受けた。 逸見祥希さん 「大学3年生の夏休みに帰省して、地元が変わった風景を目の当たりにしたんですね。小さい頃遊んでいた公園とか林とかがあったのですけど、それが一面無くなってしまったんですよね」
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