「親より学力の高い子ども」に育てる声掛けとは? 素質や才能ではなく「方法論」で変わる
学力が全てではないが、低いよりは高い方がいい。そうはわかっているけど、子どものやる気を引き出すのは中々難しいものです。親自身も勉強が苦手だった場合、最初からあきらめモードになってしまう事も。 【データ】偏差値70超の中学生の勉強時間は? 平日、土日、テスト直前の違いは? しかし、和田秀樹さんによると、人間は本来それほど知的能力に差があるものではないのだそうです。我が子の学力を伸ばすためにまず親が知っておいて欲しいことを、和田秀樹さんの著書、『勉強できる子が家でしていること』より抜粋してご紹介します。 ※本稿は和田秀樹著『勉強できる子が家でしていること』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです
勇気づけをして、「折れない心」を育てる
「心理学の三巨頭」のひとり、アドラーが主張する心理学のなかで、とくにキーワードとなるのが「勇気づけ」です。この場合の「勇気」とは、自主的に課題に取り組めるようにすることであり、また、自分自身に価値があると思えるようにすることで、「困難を克服する活力」を与えることを指しています。 アドラーの勇気づけの概念は、尊敬・信頼・共感がベースとなっています。困難を克服する活力を与えることで、自律的に行う勇気づけに対して、アドラーは「褒める」「叱る」という行為はやってはいけないと説いています。 なぜなら、褒めることで子どもは親への依存心を強め、褒められるためだけに行動するようになります。また、叱ることは力で押さえつけるだけで、子どもは叱られないために行動するようになるというのが、アドラーの考えです。 「褒める」「叱る」は、相対するようでいて、両方とも自主的に課題に取り組む「勇気づけ」とは、かけ離れているということです。 アドラーが考える「褒めることの弊害」について考えると、たしかに褒めないと動かないような「指示待ち人間」になるのはよくないことです。しかし、勇気づけにつなげるための手段として褒めることは、意味のあることだと私は思います。 褒めることで、自分は賢いのだと自信を持てるようになれば、学ぶことが楽しくなって、自主的にチャレンジできるようになります。賢いと信じていれば、うまく結果が出ないときでも、自分の価値を信じて折れずに立ち向かえると思うのです。 私が自分の母親のことを偉い人だなと思い、感謝もしているのは、「勉強ができるようになる」ということに対して、非常に貪欲で、私たち兄弟に絶対にそれをあきらめさせなかったということです。 前述のように私の弟の場合は、小学校のころまったく勉強ができなかったのですが、それでも母は、「やればできるはずだ」と信じて、あきらめずに公文式に行かせて勉強をさせたりしていました。弟自身も「自分は賢いのだ」と信じて積極的に挑戦を続けて、東大文Ⅰに現役合格しました。在学中に司法試験に合格し、成績トップで留学組となり、現在にいたるまで出世競争を生き延びています。