脳死は死か?日本の定義は世界に逆行? 11歳息子の臓器を提供した父に聞く「親として彼の最後の希望を何としても叶えなければ」
隆さんは「親として、息子の最後の希望を何としても叶えないといけない」、陽子さんも「息子の臓器で助かる命があるのであれば」と承諾。ドナーとなった康輝くんの臓器は、現地の子どもたちに提供された。 一転して提供側になったことについて、隆さんは「とんでもない悲しみが訪れたが、親として負けちゃいかんと。年月が経った今なら、あの時に提供してよかったと思える」と語った。
■臓器提供を「表明」している人は低い割合 決断は家族の大きな負担にも 課題は
康輝くんが亡くなって6年後の2009年、日本でも法律が改正され、15歳未満からの臓器提供が可能になった。しかしドナーの数は伸び悩み、移植希望者のうち、実際に受けられる人は年間わずか4%に過ぎない。 そもそも「脳死」とは、脳の全ての働きがなくなった状態を指し、どんな治療をしても回復することはない。人工呼吸器等の助けで、しばらくは心臓を動かし続けることができるが、多くは数日以内に心停止に至る(心停止までに長時間を要する場合もある)。回復する可能性がある「植物状態」とは全く違うものだ。
30年間で1500件の心臓移植に携わった経験を持ち、ドイツで康輝くんも担当した医師の南和友氏は「脳死になると、全ての臓器の機能がどんどん落ちていく」と説明する。「数分後には心臓が止まるという状況で、強心剤や人工心肺で時間を稼ぐが、ある程度の時間しかもたない。時間がたつほど臓器に血液や栄養がいかなくなり、使える臓器は少なくなっていく」。 脳死をめぐっては、日本と世界で判定基準が異なる現状がある。「世界では脳死以外に死はないが、日本では心臓死が一般的だ。冷たくなり、硬直して、瞳孔が開く“三大兆候”があって初めて死を認識している。脳死がどういう状態か、あまり説明してこなかったのが問題だ」。 国内初の心臓移植手術から臓器移植法の成立までは、約30年の歳月を要した。「失われた30年間で、世界はどんどん進んだ。各国が試行錯誤でノウハウを積み重ねてきた中、日本は取り残された」。その上で、「世界各国が死の定義を『脳死した時点』と言っているのに、日本は『心臓が止まった時点』と言う。ナンセンスだ。手術は心臓を止めてやっているではないか」と指摘した。