松山猛が語る加藤和彦、ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンド
日本のロックの中でも黒船的なアルバム
不思議な日/ 加藤和彦 田家:1枚目の『ぼくのそばにおいでよ』は松山さんの詞だけではなかったのですが、『スーパー・ガス』は全部松山さん。 松山:そうですね。うん。 田家:これ加藤さんらしいですね。 松山:歌いまわしがね。 田家:もう、ああ、加藤和彦だなあ、加藤さんだなあって。 松山:加藤節ですね。 田家:ですね。ちょっとしみじみしますね。これを選ばれているのは? 松山:現実社会がいろいろややこしくなってきていますからね。だからこそ、こういう世界を聴いてほしいなと。 田家:四季、季節を歌いこむのは松山さんの中にいつか歌いたいと思っていたという。 松山:それはありましたね。日本人の言葉の世界を、それこそ百人一首の時代からみんな季節を歌いこんでいくじゃないですか。日本人にとって季節の変わり目だとか季節の匂いだとか、そういうのがすごく重要なことだと僕は思うし。 田家:こういう平和な世界があって、70年代らしい1つの理想世界でもあったのでしょうが、この後1972年に加藤さんはミカ・バンドを結成されているわけですよね。 松山:そうですね。彼はアマチュア時代かな。アメリカに行っているんですよ。プロのフォークルが終わった後アメリカに行くんだけど、ヒッピーっぽい格好をして帰ってきたけど、たぶんヒッピーの世界には馴染めなかったと思います。そのままロンドンに行って、自分の好きな世界はこっちにあったんだって思うんだよね、きっとね。 田家:ミカ・バンドの影の仕掛け人が松山さんだったという。 松山:仕掛け人というか、よく一緒にいましたからね、当時ね。 田家:ミカさんもその頃からお付き合いですもんね。 松山:彼らがロンドンでロールス・ロイスを買ってきてね。加藤くんは免許ないから運転はミカで、そんな時代でしたね。 田家:その過程はどういうふうにご覧になっていたんですか? 加藤は何をやろうとしているんだろうとか、おもしろいなとか。 松山:1969年に出てきてから、1970年とか1971年はよくレコード屋さんに一緒に行って、いろいろなおもしろいレコードを探したりして。ちょうどT・レックスが流行り出した頃でね。ピンク・フロイドも出てきたり、今までのビートルズとかストーンズの世界とはちょっと違うロンドンの音が聴こえてきたのがすごく刺激になったと思います。 田家:ミカ・バンドの代表作、1974年11月の2枚目の『黒船』は、1曲以外全部松山さんですもんね。 松山:そうですね。僕もよくロンドンへ行くようになって、向こうのプログレッシブの音楽をやっている人たちとお付き合いをしているうちに、もしまたミカ・バンドで2枚目をやるんだったらバラバラの曲じゃなくてひとまとめ、コンセプトを作ってやった方がいいなと思って加藤にもうちょっとコンセプチュアルにやろうぜって言って、黒船の時代をテーマにして1枚を作りました。 田家:その中からこの曲がシングルカットされて、これも未だにいろいろなバンドがカバーしているという日本のロックのスタンダード中のスタンダード。松山さんが選ばれた今日の7曲目、サディスティック・ミカ・バンドで「タイムマシンにおねがい」。 タイムマシンにおねがい / サディスティック・ミカ・バンド 田家:1974年10月発売のシングルなのですが、映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』の中ではロンドンでのライブ、ミカさんかっこよかったですねー。 松山:僕ね、それ行けてないんですよ。なんで行けなかったのかよくわかりませんけどね。僕もしょっちゅうロンドン行ってたけど、1回ね、ロンドンでミカバンの連中、加藤と歩いてくる。僕は別の仕事で行っていてすれ違ったことがあって。道の車道を挟んで向こうの歩道とこっちの歩道でおう!とか言って(笑)。 田家:このバージョンがCDの『The Works Of TONOBAN~加藤和彦作品集~』に入っております。このミカ・バンドが8枚組のボックスが出たんですよね。このボックスすごいですね。70年代のオリジナルアルバムが3枚とライブ盤1枚。1989年のミカ・バンドのオリジナルとライブ。この「タイムマシンにおねがい」は1989年のライブと1976年の京都円山音楽堂での未発表ライブ、レアトラックス、それが両方入ってましたね。円山音楽堂のライブというのは貴重ですね。 松山:そうですね。京都で凱旋公演したんだね、彼がね。 田家:ミカ・バンドに対してあらためて思われることってどういうことですか? 松山:やっぱりこれもまた一種の化学反応で、あのメンバーが揃わなかったら『黒船』のあの音はできなかったんじゃないかなと、この間しみじみ聴きながら思いました。高中ギターもそうだし、小原のベースもそうだし、今井裕、キーボードの。彼らの作り出す音のぶつかりあいっていうかね。どれがなくてもあのアルバムはできなかったんだなと思いました。 田家:黒船っていう日本と欧米の文化とのある種の出会い。でもあのアルバムがそういうイギリスと日本のシーンを繋いだとか、それまで日本の中に入ってこなかったイギリス的な何かを持ち込んだという日本のロックの中でも黒船的なアルバムになりましたもんね。 松山:僕が一番うれしかったのはアメリカとイギリスでLPが発売されたんです。初めて外国から印税をもらってね。それはちょっと誇りに思っています。 田家:今日は最後に松山さんが選んでいただいた曲ではないんですけど、あまり語られないなこの曲はと思って、この曲の話をお訊きしようと思って締めたいと思います。