5歳上の張本勲に「巨人では俺が先輩…」伝説は本当? 元巨人V9メンバー・高田繁に聞く“組織作り”のコツ「チーム作りに年齢なんて関係ない」
チーム作りに「年上だ、年下だなんてのは関係ない」
――Wikipediaにも出てますし、もはや定説となりつつあります。 高田 いえるか! 考えてもみい。浪商の大先輩で、あれだけの大打者に対してそんな無礼なことをできるわけがない。昭和50年、巨人は最下位になって、俺も成績を残せなかった。その時に来てくれたのが張本さんだよ。俺なんて張本さんじゃ競争相手にもならないんだから、試合に出るためにはトレードに出してもらいたいって考えていたんだから。 ――これは喝ですね。 高田 先輩を先輩扱いしないなんてことは絶対にしないよ。ただ……話を戻すとや。チーム作りにおいては、年上だ年下だなんてのは関係ないんだよ。いまはもう、年上だからやりづらいだなんだ、言うてくる監督が結構いるけど、自分に欠けているところを補ってくれるチームに必要な人なんやからね。 俺が日本ハムの監督になった時なんて、はじめての監督や。経験豊富で自分の考えを理解してくれて、四六時中一緒にいて話ができる。そういう人を入れたかったから、監督も経験している与那嶺さんにヘッドに来てもらったし、ピッチャーのことも専門外やから、投手コーチに大石さんをお願いしてね。あとの人事はチームの状況を把握している人たちを、チームのことをよく知っているフロントに揃えてもらう。その考えはGMになってからも変わらない。監督が希望するコーチは2~3人は入れるけど、すべては勘弁してねというのが、バランス的にもちょうどええんや。 ――若いチームに力がついてきた4年目の1988年には東京ドームが開場して、実数発表前とはいえ観客動員は前年の約2倍となる245万人を集めました。これは札幌移転、エスコン元年でも日本一でも破られていない最多記録です。 高田 あの年はよく入ったよね。東京ドームは日本で初めてのドーム球場だったし、見学がてらに観光しに来たお客さんも多かったんやないかな。やっぱり水道橋という地の利もあったろうし、川崎や大阪球場に比べると、まだお客さんが入っていた分だけ恵まれていたやろね。 ――この88年にはその川崎でロッテ×近鉄の10・19決戦がありましたが、日ハムは3位。優勝した西武にも勝ち越して、チーム防御率は1位でした。 高田 若い西崎と松浦が15勝で最多勝を分け合ってね、中継ぎでもフル回転した河野のゲンちゃんが最優秀防御率のタイトルを獲ったんや。バッターは中日から大島康徳が来て、田中幸雄も3年目でモノになりはじめた。あとは、外国人の(トニー・)ブリューワが帰っちゃったんだけど代わりに来た(マイク・)イースラーが4番でよく打ってくれたんだよ。ただ、勝ち越したとはいえ、あの時代の西武はやっぱり強かったよ。
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