元3階級制覇王者の八重樫引退…7度負けた激闘王は「誇れるのは世界王者になったことより負けても立ち上がったこと」
プロボクシングの元世界3階級制覇王者の八重樫東(37、大橋ジム)が1日、横浜の大橋ジムからオンラインによる会見を開き引退を発表した。八重樫は昨年12月に14度目の世界戦としてIBF世界フライ級王者、モルティ・ムザラネ(南ア)に挑戦したが、9回TKO負けを喫して2月25日に大橋秀行会長から引退を勧告されて引退を決意した。会見では途中涙ぐむ場面も。プロ通算35戦28勝(16KO)7敗の戦績を残し、そのファイトスタイルから“激闘王“と呼ばれた八重樫は、「ボクシングは人生を豊かにしてくれたもの」との言葉を最後にグローブを吊るす。今後は、大橋ジムでトレーナーを務めながら、飲食店経営、タレント、パーソナルトレーナーなどマルチな第二の人生を歩む。
体力の限界ではない
「心のボクサー」がグローブを吊るす。 2004年9月1日に拓殖大から大橋ジムに入門した八重樫が16年後の9月1日に引退を発表した。 「最後に会長にやる気はあるのですが、チャンスがないのであれば辞めようと思っていますと話したところ、『もういいんじゃないか』と。それを受け入れて決意しました。決して体力の厳戒を感じたわけではないのですが、一人で現役を続けることはできません。会長、松本トレーナー…大橋ジムのスタッフの方々に支えられ素晴らしい環境でボクシングをさせていただき幸せでした。15年間、一生懸命にプロボクシングをできたことを誇りに思います」 スーツ姿に身を包んだ八重樫は清々しい顔で口を開いた。 昨年12月23日にIBF世界フライ級王者、モルティ・ムザラネ(南アフリカ)に挑戦。序盤はラウンドを支配しながらも9回にレフェリーストップによるTKO負けを喫して最年長王座奪取の記録を塗り替えることはできなかった。この試合で左目に眼窩底骨折を負った。36歳だった八重樫はパンチへの反応も鈍く、もう打たれ弱くなっていた。 年が明けた2月25日、八重樫の後援会のパーティーでで、大橋会長から公開で引退を勧告された。だが、ヨネクラジム出身の大橋会長は、「自分のことは自分で決める」というヨネクラの伝統を守り、引退を勧告した上で、「あとの判断は、おまえに任せた」と、最終決断は、八重樫に預けた。 「試行錯誤の時間はありました。まだ全然、動けます。自分に可能性があれば続けるつもりはありました。会長が、まだやればと言ってくれるのであれば、試合に向けて体を作っていく作業もできました。でも体のこともあるし凄く難しい線引きでした」 むしろ八重樫は大橋会長の一言に助けられたのかもしれなかった。 だから「悔いはない」という。