定岡正二・篠塚和典の深掘りトーク! テーマ「1985年のタイガース」【昭和ドロップ!】
打者・岡田を抑えた理由
写真=BBM
定岡正二さん、篠塚和典さんの2人バージョンでの2回目。テーマは現在、セ・リーグ首位を走る阪神がもっとも輝いた1985年(昭和60年)だ。あの年、タイガース旋風は社会現象となった。 構成=井口英規 ――2回目のテーマは『1985年のタイガース』。現在セ・リーグトップを快走する阪神の岡田彰布監督が五番を打ち、リーグ優勝、日本一になり、日本中が大熱狂となった年です。お二人とも現役でしたが、定岡さん、岡田さんとの対戦は。 定岡 そんなに悪くはないと思いますよ。あまり打たれた記憶はない。理由もあってね。ここだけの話ですが……。 ――すみません! 『週べ』に掲載したら、「ここだけ」にはなりません(笑) 定岡 じゃあ、やめようかな……。 篠塚 いつもうまいことまとめてくれるから大丈夫でしょう。 ――下ネタはカットします(笑)。 定岡 マキじゃないから、それは大丈夫(槙原寛己さん。今回は欠席)。じゃあ、お任せします! 岡田はインコースも強かったけど、手首が利いて、外角球も飛ばすことができるバッターでした。僕らはミーティングで「近いところに投げて、踏み込まれないようにしろ」と指示が出ていたんですが、僕らの時代の巨人のピッチャーは、ニシ(西本聖)以外、そこまで近めを厳しくは攻めなかった。けど、岡田にだけは結構、際どいところを投げていたんですよ。 ――なぜですか。 定岡 答えは簡単、捕手の山倉和博さんが岡田の早大の先輩だったからです(笑)。山倉さんも「サダ、どんどん来い」ってあおってくる(笑)。 篠塚 当てても「先輩、やめてくださいよ」くらいしか言えないしね(笑)。 定岡 「ちっ!」くらいだった(笑)。これも昭和だね。シノ、昔は岡田みたいに、外の球に対して手首をすごく返すバッターがいたよね。 篠塚 あのころは・・・
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週刊ベースボール