初代タイガーマスク・佐山聡、革新的だった素顔 従来のプロレスを超えた技の数々、茶の間を巻き込んで一大ブームに
【柴田惣一 今日も一緒にプロレスを楽しみましょう!】 力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木に続く日本プロレス史を飾るヒーローは誰だろうか? 初代タイガーマスクこと佐山聡を挙げる人も多いだろう。 【写真】1980年代のプロレス界に一大旋風を巻き起こした初代タイガーマスク。「二度と現れない天才」と評された 1981年、大ヒットしたアニメの世界から登場。現実では不可能と思われる動きを披露し見る者の度肝を抜く。プロレスファンだけではなく茶の間を巻き込んで一大ブームを巻き起こした。 「タイガーマスクに憧れて」と何人もの選手から耳にした。華麗な四次元殺法はもちろん、鋭くアクロバティックなキック…。実際、タイガーマスクのファイトは革新的であり従来のプロレスを超えたものだった。 その人気は凄まじく、会場には入り待ち、出待ちのファンが詰めかけ、地方大会の宿泊先にはサイン色紙の山が積まれていた。各地区で一番大きな体育館がどこも超満員だった。 当初は正体不明の触れ込みで、日本語を話さなかった。会場入りする際には、素顔で登場し「フフフ、誰も気がつかないぞ」と楽しんでいた。実はタイガーマスクとして活躍したのは2年余り。だがその後もスーパータイガーなどマスクマンとして、時には素顔に戻って「さすが」と見る者をうならせてきた。 未来を見通し、新しいモノを積極的に取り入れていた。新聞記者が原稿用紙に手書きで記事を書いていた時代に、ワープロを駆使。「付け加えたり修正も簡単だし、ストックもできる。これは便利だよ」と笑った顔に「まるで猪木さんのようだな」と感心したことを今でも思い出す。パソコンもいち早く取り入れ、アップルウオッチも誰よりも早く腕に巻き使いこなしていた。 時代が進んでも、繰り出すローリングソバットの切れ味は変わらなかった。もって生まれたポテンシャルに加え、普段の努力が天才のゆえんだった。昨今は病と闘っている。記者会見や会場、イベントなどで元気な姿を見せてくれるが、心配はつきない。 タイガーマスク時代に熱い激闘を繰り広げたライバルたち、ダイナマイト・キッドも星になり、好敵手であり親友だった小林邦昭も今年9月に亡くなった。同世代の小林の死はショックだったはずだが「まだまだ、私は踏ん張るから」と力強い。 息子の聖斗も初代タイガーマスクのライセンス事業をはじめスポーツビジネス界で活動している。「彼も頑張っているんで」と父の顔もチラリ。主宰する「ストロングスタイルプロレス」も11月5日の東京・新宿FACE大会を前に新間寿会長が引退を表明し、ジャガー横田相談役が退任するなど風雲急を告げている。ゆっくりなんてしていられない。
我らがヒーロー、初代タイガーマスクは歩みを止めない。 =敬称略 (プロレス解説者・柴田惣一)