あえて空気は読まない、外しの思考で新たな価値を提案 ── 人気建築家・谷尻誠
自分にしかできない新しいを提案したい
──その考え方、面白いですね・・・ やりやすいこと自体をできるだけ避けるようにしているんです。やりやすさ、とは自分の想像通りにしようとする行為なので。自分の想像通りの物ができたとしたら、予定通りって自分が何も感動しないですよね。思った通りできたな、というだけになってしまいます。僕自身も自分の作るもので感動するためには、自分が思い通りにならないようにしたほうが 新しいところに自分も漂流できる。それは「思い通りにならないよ思い通り」と僕は呼んでるんですが、他者が介入することが化学反応が起きる原理なので、意図的に外すようにしています。 コップのデザインしてください、と言われれば、皆コップのデザインを考えますが、僕はデザインよりも、この依頼されているコップの中には何が入るのだろう、どの用な時間帯に使用されるのだろう、どのようなテーブルに置かれるのだろうと。そういったコップ以外のことを一生懸命考えます。そうすると、朝だったらこんなコップがいいな、とかちょっとボンヤリ見えてくるじゃないですか。物を考えることも本質だけれども、物以外のことを考えることも本質を考えることになるのではないか、という風にも思っているので。なにか違うところから見ようとする癖がついてしまっているんですね(笑)。冷めてるんですよね。すっごい熱いんですけれども。すごく熱くやるために、すごく冷めた自分を持つようにしている。 僕、「建築家」という風にあえて言われるのにちょっとした違和感もありながら、名刺には建築家と書いている。それは、僕は建築家ではなくて、これもやるし、プロダクトも作るし、映画も撮るし、音楽も作るし、ってなるとなんでも屋さんになるじゃないですか。それは嫌なので、建築家って名乗っておけば、「建築家が映画作ったんだ!」ってなりますよね(笑)。 しょうもない例えですけど、メニューにミニサラダと書いてあって、大きな器に入ったサラダがドーンと来たら、誰もがミニサラダ頼んだんだけど・・・となりますよね。でもお店の人が「これがうちのミニサラダなんです」と言うと、この店サービスいいな、って人は思っちゃう。でも、よく考えたら、それはただのサラダなわけですよ。メニューにミニって言葉が付いているだけで、人の感じ方が変わっているということですよね。それと同じことをやっているのではないかな、と思っています。捻くれてるでしょ。いつもこんな感じです。 人は既成概念の中で生きていると僕は思っていて。よく皆さん、新しいものが欲しい、って言いますけれど、「新しい」を定義するためには、やっぱり古いものとか、自分の知っている物があってはじめて比較できる。それがないと、本当に見たことがないものを、新しいかどうか判断さえできない。なので、他の誰かが、もしやっていたとしてもそれを踏まえた上で、自分にしかできない新しいを提案したい。だからいつもあえて、空気を読まない(笑)