前任校では「結果を出せていない」と解任、新任高では部員5人からのスタート...別海高校のコンビニ副店長監督が果たした甲子園出場
別海高校~甲子園初出場までの軌跡(1) 島影隆啓はいつもと変わらず朝3時に起床して素早く身支度を整え、自宅から数百メートルの場所にあるコンビニエンスストアへ向かった。父親がオーナーの店舗では副店長を務め、4時過ぎからホットスナックの準備やおにぎりの仕込みに取りかかる。 【写真】センバツ応援イメージキャラクター・近藤結良インタビューカット集 ただ、1月26日は上の空だった。 「おにぎりの具材を間違えると大変なことになりますからね。仕事は集中しましたよ」 【酪農の町から初の甲子園】 島影の地元、北海道東部に位置する別海町は固唾を飲んで吉報を待っていた。別海高校野球部の監督でもある島影は、今年のセンバツで21世紀枠候補に選ばれている同校の行く末を前日までは「選ばれなくても、今回は縁がなかっただけ」と、冷静に受け止める腹づもりでいた。それが当日の朝になると、急に緊張が襲ってきたのだと苦笑する。 「もう、今まで感じたことのないドキドキ感というか、ずっとソワソワしていました」 8時前にコンビニでの業務に一区切りをつけて帰宅すると、自宅で商品の発注や子どもの世話をしたのち少しの休憩をはさんで、15時過ぎに学校へと向かう。本当ならば16人の選手と3人のマネージャー、そして生徒や教員ら学校関係者たちと体育館でセンバツ出場校の発表を待つはずだったが、「これまで苦労をかけたから」と自家用車内で家族と運命の瞬間を祈った。 「ほっ----」 センバツの選考委員が「北海道」と言い切る前に、島影の体は反射的に歓喜に溢れる。同時に涙腺が緩み出し、今にも泣きだしそうではあったが、妻が「これから記者会見があるんだから泣いちゃだめだよ」とたしなめてくれ、平静を取り戻すことができた。 車から降り、野球部員たちが待つ体育館へゆっくりと歩を進める。その途中で馴染みの顔があった。つき合いの長いスポーツ用品店の店長が、顔をくしゃくしゃにしながら島影を待っていてくれていたのである。 もう、ダメだった。店長と熱い抱擁を交わしながら、島影は大粒の涙を流していた。 「妻から言われていたのに結局、泣いて。駐車場で大号泣でした」