「選挙は急速に『祭り』へ SNSと『熱狂』の危うさ」東浩紀
批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。 【写真特集】大物がズラリ!AERA表紙はこちら * * * 今年は選挙の話ばかりしていた気がする。4月の東京15区の衆院補選に始まり、7月の東京都知事選、9月の自民党総裁選、10月の衆院選、11月の兵庫県知事選。先日は名古屋市長選もあった。 それぞれ規模も性格も異なるが、一貫して話題になり続けているのがSNSの力だ。特に兵庫県知事選では、新聞やテレビでパワハラ疑惑を追及され、不信任案を可決され失職に追い込まれた斎藤元彦前知事が劇的な復活当選を果たしたことで「負けたのはマスコミ」とまで言われた。実際、結果の背景には根強いマスコミ不信があった。それを逆手に取った立花孝志氏の奇策も、斎藤氏には大きな追い風になった。 今後の選挙はSNSなしには考えられないが、その傾向を批判する声もある。事実や公平性に拘るマスコミと異なり、SNSはデマを流し放題の無秩序な空間で、民意が歪められるというのだ。 筆者は必ずしもそうは思わない。SNSにデマが多いのは確かだが、見抜くリテラシーも広がっている。いつの時代も詐欺師はいるもので、その舞台が新しいメディアに移っただけのことだ。それにテレビや新聞が良質な言論の場を提供しているのかといえば、首を傾げざるをえない。今後政治の中心がSNSに移るのは必然だ。 しかし、SNSの台頭にまた別の怖さを感じることも確かである。 民主主義とはじつはとても危ういものだ。それは有権者の不断の政治参加を要求する。しかし参加が過度になり「熱狂」に変わると、すぐに排外主義や全体主義へ変質する。健全な民主主義が保たれるためには、有権者はあるていど冷めていなければならない。これは前世紀の貴重な教訓だが、SNSはまさにその冷静さを失わせるメディアなのである。実際、日本のこの一年を振り返ると、選挙が急速に「祭り」へと変質していることに慄然とする。ネットでは罵詈雑言が飛び交い、暴力事件も起き始めている。 来年7月の参院選は衆参同日選になるかもしれない。日本の未来を決める大きな選挙に、この「祭り」の空気が流れ込まないとよいと思う。 ※AERA 2024年12月9日号
東浩紀