大宮の劇場に“島流し”…タモンズが諦めなかった理由「俺らのほうが面白いやろって思っていた」
どういうわけか自信だけはあった
安部 2人の気持ちが同じ方向に向かっていなかった。こいつ(大波)は自分の考えるお笑いを追求していきたい。僕は、それよりも目の前の仕事をきちんとこなしていくべきだという考え方。とはいえ、そのすれ違いをなんとかしたいとは僕も思っていて、「心機一転、名前でも変えるか」とか言った覚えはたしかにあるんですよ。 ──それで、いきなりライブ中に大波さんが改名を発表した。 安部 事前に何の相談もなく、その場のノリだけでね(笑)。 大波 深い意味なんて特になかったんですけどね。単純に面白いかなって思いついただけで。だけど、その年のM-1も2回戦で負けたりして、改名しても状況は全然好転しなかったんです。それで自分の中でプツンと何かがキレてしまった……。 安部 「もう無理や」って話になってね。1人加えて、トリオとして出直そうとこいつは考えたんです。同期の中で、前から僕らと一緒にやりたいと言っていた奴がいたし……。だけど周りの人たちから反対されたこともあって、僕は「やっぱりトリオは嫌や」って伝えたんです。お笑いをやり始めてから、本当の意味で自分の意見を言ったのはそのときが初めてだったかもしれない。 大波 たしかにそうかもな。 安部 タモンズの頭脳は大波だって僕はずっと思っているから。ずっと任せっきりだったんですよ。だけど、あのときはさすがに腹を括りましたね。 ──こうして振り返ってみると、“いさぎの悪さ”というのがタモンズの特徴であり、武器だったように思います。なぜ諦めずに踏ん張り続けることができたのか? そのへんは自分たちでどのように考えますか? 大波 どういうわけか自信だけはあったんですよね、どんなときも。M-1グランプリとかを含めて結果なんて何も出ていなかったんですけど。でも、心の中では「いや、俺らのほうが面白いやろ」ってずっと思っていました。その勘違いが今思えばよかったんじゃないかな。 安部 僕はやっぱり“周りに恵まれていた”ということに尽きると思う。はっきり言って、僕らなんてNSC時代からかなりの劣等生だったわけですよ。だけど今回の映画にも出てくる支配人さんだったり、「タモンズは面白い」と言ってくれる(放送)作家さんがいた。要所要所でそういう人たちに支えられたから、どうにかなっているだけで……。「自分たちの実力だけでやってきた」なんて口が裂けても言えない(笑)。 ▽タモンズ 東京NSC11期生。ツッコミ担当の大波康平とボケ担当の安部浩章によるコンビ。2006年結成。THE SECOND ~漫才トーナメント~2024ファイナリスト。同期はチョコレートプラネット、シソンヌ、向井慧(パンサー)、すゑひろがりずなど。
小野田 衛