スポーツカーの原点「メルセデス・ベンツ SL」70年の輝かしい歴史
設計部長のルドルフ・ウーレンハウトの構想は、自動車というより航空機に近いものと言われた。当時、自動車では考えもつかなかった複雑な力学計算がなされ、スペースフレームは何本ものパイプをつないで溶接された。
結果、フレーム自身の重量は約80kg前後、エンジンは直列6気筒、SOHC、3L、3個のソレックスキャブで170PSにチューンされ、全高(重心)を低くする為、左45度に傾斜して搭載。この2シーターはスペースフレームの為にサイドシルが非常に高く、思い切ってルーフセンターが飛行機の様にヒンジの上に開くドアを採用。このドアは左右両方を同時に開けると、ちょうど「かもめが翼を広げたような形」になるところから、「ガルウィング」という名前が付けられた。
1952年の5月、初戦のミッレ・ミリア(イタリア語で1.000マイル)ではカール・クリンクが2位になり、まずまずのデビュースタート。そして最大の勝利はル・マン24時間耐久レースで1・2位を獲得。またニュルブルクリンクのレースでもオープンの300SLが1・2・3位を独占。続いて当時のスポーツカー・レースのビック・イベントであるカレラ・パナメリカーナ・メキシコのレースでカール・クリンクが優勝、2位をヘルマン・ランクが獲得する。
300SLガルウィングクーペ/W198(1954-1957年)、190SL/W121(1955-1963年)の誕生
このように成功を収めたレーシングカーの量産車バージョンを生産するという素晴らしいアイディアがメルセデス・ベンツSLシリーズの量産スポーツカーの歴史の始まりを示したと言える。
このアイディアの主は、ウィーン生まれで米国東部のブランド輸入業者であるマクシミリアン・エドウィン・ホフマン(親しみを込めてマキシと呼ばれた)で、1953年にダイムラー・ベンツ社に提案した。当時のダイムラー・ベンツ社の経営陣とホフマンの間で行われた対話の中で、最終的に190SLロードスターと300SLガルウィングクーペの2台スポーツカーが誕生した。
そして、1954年2月のニューヨーク国際オートショーでこの2台が同時発表展示された(190SLはプロトタイプ)。コンパクトで価格的にも手頃な190SLロードスター/W121は、技術的には中型セダン/W120(ポントン)から派生したもので、105PSの直列4気筒1.9Lエンジンを搭載。さらに、成功を収めたレーシングスポーツカー300SL/W194のコンセプトは、特に目の肥えたお客様向けの高性能車、300SLガルウィングクーペ/W198へと受け継がれ、直列6気筒3Lで世界初のガソリン直噴エンジンを搭載し215PSを誇り、世界のセレブ達に愛用された。室内は極めて豪華に仕上げられ、標準ではレーサーのようにチェックの布張りシート、またはオプションで本革張りも注文できた。後ろの巨大なラゲッジスペースには、2点のトランクと、それを固定するストラップがオプションで用意された。その他、ホイールセンターノックオフなどが注文装備できた。ボディはプロトの総アルミからガルウィングドア、エンジンフード、トランクリッド以外はスチール製になった。