『光る君へ』<花山天皇退位クーデター>はあくまでドラマ…じゃなかった!「護衛は?」「血は流れなかったの?」事件の謎を日本史学者が解説
◆花山天皇を護衛していたのは「源氏の武者」 とは言っても、花山天皇の退位事件が、完全に非暴力的に行われた、というわけではありません。 事件から100年近く後の書物、歴史書『大鏡』には、「誰や彼やというよく目立つ源氏の武者が花山天皇の護衛についていた」とあります。もちろんこの護衛が、むしろ逃亡防止用でもあったことはドラマで描かれていた通りなのですが。 ここで面白いのは、護衛が「源氏の武者」だとしていることです。 具体的には誰でしょうか。この事件の首謀者、左大臣藤原兼家に関わる源氏には、清和源氏の源満仲がいます。彼はこの翌年に出家しているので、実際に関わったのは、息子の頼光・頼親・頼信などでしょう。
◆腕っぷしの強い子分たちを引き連れていた武人貴族 満仲の官位は正四位下で、各地の国司(受領)を務めて懐は極めて豊か。 長男の頼光はこの後に皇太子となった居貞親王(三条天皇、つまり花山天皇の異母弟)の東宮坊の権大進(三等官待遇)になっているので、六位くらいの官位は持っていたと思われます。紫式部の父、藤原為時とどっこいどっこい、とでも言えばわかりやすいでしょうか。 為時と違うのは、彼ら武人は腕っぷしの強い子分をぞろぞろ引き連れていたことです。 それらの子分は多分、京の周辺の荘園を基盤として都に出てきた武人貴族へ、契約社員のように仕えていたのでしょう。京で警備するときや受領として下向するときにはこういう部下が役に立つのです。 ドラマでいえば、騙されたのを知った花山が逃げようとしたのを押しとどめた、ガタイのいい連中がそれに当たるでしょう。
◆「平安版アベンジャーズ」のモデルに そして頼光は父と同じく正四位下まで出世して、「朝家の守護」と呼ばれるまでになりました。つまり内裏警備の源氏の棟梁となったので、その部下たちも、「都の名物防衛隊」的に美化されていったようです。 これを「頼光の四天王」といい、渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武と伝わっています。 このうち渡辺綱は摂津渡辺、今の大阪の中之島にかかる渡辺橋周辺の武士団の伝説的な始祖、坂田金時は道長の花形随身(SP)で、若くして亡くなった優れた武人の下毛野公時(つまり金太郎の原型)のモデルにされるなど、実際の部下ではなく、有名な伝説的武人を頼光の下に集めたのが実情のようです。 しかし彼らが一丸となって戦った、いわば「平安版アベンジャーズ」というような物語が、鎌倉時代に創作され、その名は時代を超えて轟きました。かの「酒呑童子伝説」、大江山の鬼退治です。 こうした鬼退治の超人たちの原型イメージが、花山天皇を止めた源氏配下の武士たち、というわけなのです。止められた花山には、彼らがむしろ「鬼」に見えたかもしれませんが。
榎村寛之
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