アイヌ民族の争い、オニビシがシャクシャインに討ち取られた地「メナチャシ」を訪れた
その後、松前藩へのアイヌ民族の恭順が進み、民族間は分断。孤立し窮地に立たされたシャクシャインは和睦に応じるために松前藩での酒宴に参加しますが、そこで謀殺されたと言います。そうしてアイヌ民族は松前藩との交易で和人に主導権を握られていく事になります。 メナチャシは前述のアイヌと松前藩の仲介を果たした文四郎の館もあったと言われており、文四郎館とも呼ばれているようです。砦らしさを感じさせる土塁と空堀は今でも原型をとどめており、ここもまたある種の城跡なのだと実感しました。 そしてここは明治4年、政府によって北海道への移住を命じられた淡路島の稲田藩家臣546名の開拓史が刻まれた土地でもあります。公園内には移住、開拓のレリーフや稲田氏の墓、移住時に沈没した平運丸遭難の碑なども見ることができました。
バイクのニュース編集部