【ひねもすのたりワゴン生活】滋賀から城崎、そして神戸 5日間1500㎞のクルマ旅 その14
そこで、出石に修理を依頼してはどうか…と提案した。あの店なら修復してくれるのではないか…と思いついたのである。とはいえ、同店で製作したものではないだろうから引き受けてくれるどうか、100年も前のバスケットの修理が物理的に可能かどうかも分からない。 翌日、おそるおそる電話を掛けてみた。前日に訪ねた者であること、そして目の前にある大正バスケットの状態、入手の経緯などを伝えると、「やはり、それは100年くらい前のものでしょうね」と、お墨付きが出た。そして修理は可能で、引き受けてくれるという。「金属パーツは当時と同じものが手に入らないから、現在使用しているものになりますが…」。そんな控えめな言葉に職人の誠実さを感じる。私たちは、修理を引き受けてもらえ、長い間眠っていた大正バスケットが甦るチャンスを得たことで充分満足だった。 蕎麦を目当てにたまたま寄った出石…その食後の街歩きで目に入った赤壁…ふと見たらその脇に柳行李の工房があって、それも全国に名を知られる名工の店という幸運。入ってみると大正バスケットが飾られていて、その晩、130㎞離れた神戸で同じような品と出会うことになった…この不思議な縁に導かれたかのように、偶然に偶然が重なって、一世紀前の大正バスケットが息を吹き返すことになったのだ。
そして、柳行李との出会いは、その後もうひとつの縁も紡いでくれた。ふた月ほど経って、私は再び豊岡市を訪ねる機会を得た。演出家平田オリザさんが学長を務める兵庫県立芸術文化観光専門職大学に招かれ、講義することになったのである。 空路、羽田から神戸空港に向かい、迎えに来てくれた同校の小熊教授のクルマで豊岡に向かう。しかし、早めに到着したので、豊岡市内を案内してもらうことにした。前回の旅では、出石町を目指していたので素通りとなり、市街地は見ていなかったからだ。
落ち着いた街並みは歴史を感じさせ、静かでとても住みやすそう。…と、「カバンストリート」という看板が連なる商店街が現れた。以前、取材で岡山県の倉敷を訪ねた時、デニム業者が並ぶジーンズストリートに目を見張ったけれど、ここはカバンらしい。「豊岡はカバンの街なんですよ」と小熊教授が微笑む。同市はカバンの生産量が日本一で、カバンストリートは地場の産業と商店街の活性化を目的に、2005年3月に誕生したという。カバン好きでは人後に落ちないのでさっそく寄ってもらうことにした。しばし歩いていると魅力的なトートが並ぶ一軒が目に入った。Alter Egoという店で、常時300種類の革を用意しているという。オーダーバッグをメインにしているらしいが、店内には品のよい完成品もずらりと並んでいた。そりゃ、抗えるはずがない。矯めつ眇めつ、しばらく品定めして、くすんだ赤ワインのような、実に味わいのある色のトートを持ち帰ることにした。 オーナーは話し上手で、豊岡の歴史、革やデザインについていろいろと教えてくれる。長年愛用している我が革財布も目に留め、丁寧に手入れをしてくれた。気がつけば30分近く話し込んでしまったが、別れ際に、気になっていたことをひとつ質問してみた。それは、なぜ豊岡市でカバン産業が栄えたか…ということだ。すると、ここにもあの縁が繋がっていたのである。