いつ、なぜここに?モニュメントの歴史 変わらない人気を誇る「政どん」や時代とともに姿を消した「裏眼鏡橋」
KTN(テレビ長崎)に残るアーカイブ映像とともに、長崎の歴史を振り返る「タイムトラベル長崎」。街中には地域のランドマークになっている建物やモニュメントがある。いつ、なんのために設置されたのか、あまり知られていないモニュメントの歴史をたどる。 【画像を見る】あなたも探してみて!長崎駅に残るレール 時代は変わっても変わらないものもある
まちを見守り続けるツルツルほっぺの「政どん」
長崎市中心部アーケード街の中央にある「ハマクロス411」の1階のエスカレーターそばに、高さ45センチの銅像がある。かつてこの場所にあった百貨店「岡政」の「政どん」というマスコットキャラクターの銅像だ。政どんは時代の流れとともに、“丁稚奉公”に出た時期もあった。 KTN記者:大勢の人に触わられて顔がスベスベになった人気者の政どん、この政どんが新しい道を歩むことになりました 銅像は1983年、「岡政」の創業130年を記念して建立され、道行く人の人気を集めた。岡政が閉店して長崎大丸や博多大丸になってもそのまま残されていたが、2011年の「大丸」の閉店により引っ越すことになった。 大丸の従業員:(政どんのお引越しに)寂しさと良かったなと。みんな大好きだったからですね 引っ越し先は通りを挟んだ向かいの老舗菓子店「梅月堂」。政どんはその場所で約3年間大丸の解体と「ハマクロス411」の建設を見守り、元の場所に帰ってきた。 ハマクロス411 宮崎健さん(博多大丸に1998年入社):長崎大丸の前身の岡政の頃から親しまれていたので、すごく愛着をもって頂いているお客様、市民の方がたくさんいらっしゃると思う。1階に設置し長崎の移りゆく景色というか移り変わりを政どんにも見ていってほしいと思う 今でも銅像をなでる人やさい銭をあげる人がいるということで、その人気は変わっていない。
知られざる「裏眼鏡橋」の存在
長崎市の浜町アーケードに近い万屋町の眼鏡店「コクラヤ」のモニュメントは、1978年から46年にわたって通りを彩ってきた。しかし、老朽化などを理由に2024年3月末に撤去された。 コクラヤの眼鏡にちなんだものはもう一つある。 眼鏡型の欄干がついた「裏眼鏡橋」と呼ばれたモニュメントだ。中島川にかかる本物の眼鏡橋から歩いて5分ほどの場所にあり、隠れた名所になっていた。 「裏眼鏡橋」設置当時のコクラヤ代表 高浪藤夫 さん(故人※高浪は「はしご高」):もともと前からあった橋は鉄の縁があったが、隣と同じような橋になるからわかりにくいということであそこに眼鏡を据えた 昭和40年代コクラヤが鍛冶屋町に新しい店を構えた時に、もともとかかっていた橋を改良して店の目印にしようと眼鏡の欄干をつけた。 KTN記者:長い間、まちの歴史を見てきた裏眼鏡橋が大きな音と共に壊されています コクラヤが移転して土地の所有者が変わってからも橋は、ほとんどそのままの状態で残っていたが、2013年に隣接する建物と共に取り壊された。