実家の女性たちを見下し続けた「大嫌いな祖父」。それでも母が“憎しみ”を手放した本当の理由とは?
● 母の意外なひと言 そんな奇跡が起こる少し前、「祖父がいよいよらしい」という知らせを受けて一度実家に帰った。入院中の祖父への面会は、感染症防止のため「家族の中でも今後の意思決定権がある人のみ」に限られているとのことで見舞いには行けなかったが、母が祖父の入院や手術の諸々で疲れているのではないかと思い、様子を見に行ったのだ。 私は内心、母も「ようやくか」と思っているのではないかと考えていた。「嫁」として祖父からあれこれ指図され、祖父の機嫌をうかがって過ごし、それなのにとくに尊敬も感謝もされない、報われない嫁生活がもうすぐ終わりを迎えようとしているのである。これでお母さんも少しは楽になれるのではないか、と。 実家の茶の間で「ジイさんはいま、どんな気分で人生を振り返っているんだろうね」と母に話しかけた。 「あんな性格で、孫からも嫌われて、友達もいなくて、自分の生き方を一人で後悔していればいいのに」 すると母から思いがけない言葉が返ってきた。 「おじいちゃんも、辛かったと思うよ」 私は面食らってしまった。てっきり母も「ようやくか」側で、ジイさんざまあみろみたいな話をするんだと思っていたし、実際私と母は実家の台所や茶の間で、そういう話を幾度となくしてきた。あんたもこっち側じゃなかったんかい。 母は静かに続けた。 「おじいちゃんは次男なのにこの家を継がなきゃならなくなって、先祖から受け継いできた家と畑を守るのは自分の役割なんだって気持ちが強かったんだと思うの。だから『家長』として必要以上に偉そうに振る舞って、家のことは全部自分で決めなきゃって思ってたんじゃないかな。そういう人生も、辛かったと思う」 母の話しぶりは、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。 私が家を出たのは19歳の時で、そこから10年以上が経過する間も引き続き、母は「嫁」として祖父と暮らしてきた。私の知らない10年間で、祖父も老い、母も老いた。どんなに強権的な人間も、90歳を過ぎれば弱る。母もまた、この10年でいろんなことを諦め、許し、受け入れることにしてしまったんだろう。 それはどうしようもない時間経過の賜物であり、良くも悪くも母の中で「憎しみ」は色褪せてしまっていた。 憎み続けるのも若さと体力がいる。 母は祖父を憎まなくて良い理由を見つけて、そういうふうに理解する“ことにした”ようだった。 いつまで経っても「ジイさん早くくたばれ」とムカつき続けている私は、拍子抜けしてしまった。憎しみ続けることも許してくれないというのは、一番ひどいことのような気もするし、むしろ人類への唯一の救いであるような気もして、心の中で水と油が一生混ざり合わないような、割り切れない気分で実家を後にした。 ● 祖父はモンスターに“なった”のか? この先の遠くない日、祖父がこの世からいなくなる日に、実際のところ私は何を思うのだろう。いざとなったらちゃんとそれらしく、悲しい気持ちが湧いてくるのだろうか。 祖父を今から好きになることはできないし、母のように祖父を許すには、私は祖父の弱ったところを見ていなさすぎる。私の中の祖父はやはり家父長制が服を着て歩いているような男で、好きになれる要素が一つもなく、私がこのような私になったのは「祖父が体現するこの世の悪しき価値観を打倒せねば」と思わざるを得なかったからだ。 しかし実際の祖父は、母が言うように「家父長制という服を否応なしに着させられてしまった」ある意味での被害者であり、結局のところただの「社会の構造に翻弄されてしまった哀しきモンスター」でしかないのだ。 哀しきモンスターは勝手に弱ってもうすぐ死ぬ。家父長制はこの世にまだまだ蔓延っている。私はモンスターの孫であり、おなじ家で長いこと家族をやっていた。 私が「早くくたばれ」と思っていた対象は、本当は祖父ではなかったのかもしれない。家長としての責任なんて負わなくていい、モンスターにならなくて済んだ世界線の祖父は、一体どんな男だったのだろう。家長としての役割にコーティングされていない祖父は、本当は何が好きで、どんなことで喜び、何に悲しむ男だったのだろう。 その男はこの世界線に存在せず、私が出会うことは絶対にかなわないのだという事実だけが、私が祖父に対して抱ける、唯一の悲しみなのかもしれない。 月岡ツキ(つきおか・つき) ライター・コラムニスト 1993年長野県生まれ。大学卒業後、webメディア編集やネット番組企画制作に従事。現在はライター・コラムニストとしてエッセイやインタビュー執筆などを行う。働き方、地方移住などのテーマのほか、既婚・DINKs(仮)として子供を持たない選択について発信している。既婚子育て中の同僚と、Podcast番組『となりの芝生はソーブルー』を配信中。創作大賞2024にてエッセイ入選。2024年12月に初のエッセイ集『産む気もないのに生理かよ!』を飛鳥新社より刊行。
月岡ツキ